真田幸村・昌幸親子が生きた「和歌山県 高野山 宿坊 蓮華定院」

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真田幸村・昌幸親子が生きた「高野山 宿坊・蓮華定院」

  • 創建年:1185年(鎌倉時代)
  • 本尊:阿弥陀如来

この蓮華定院は、足利・室町期が終焉を迎える頃の1522年(大永2年)に、古来、信濃国(現在の長野県)の「小県(6.5万石)・佐久郡(5万石)」の豪族や地侍などと、宿坊の契約が成された、歴史ある宿坊寺院です。

高野山・蓮華定院の見どころ

和歌山県 高野山 宿坊 蓮華定院の見どころ

調度品

この蓮華定院は、信濃国(長野県)小県郡の県主・海野家支流の真田家の昌幸・幸村が長年、暮らしたことで知られており、蓮華定院の様々な場所で、真田家(海野家)の六文銭の家紋を見ることができます。

  • 家具
  • 食器
  • 家周りの調度品(提灯など)や「宿坊の造り」など

上段の間

「上段の間」真田幸村が食事や、住職などと謁見をしたとされる部屋です。
幸村がいた当初と変わらず、部屋の造りなどは、そのまま現存していると云われています。

真田昌幸・幸村が高野山で暮らした理由

真田昌幸・幸村が高野山で暮らした理由戦国期の末期、日本を二分した大きな戦争が起こりました。

そうです。あの有名な「関ヶ原の戦い」が勃発します。

  • 豊臣の旗を掲げる西軍の総大将は「石田三成」
  • 一方、徳川の葵の紋所を高々と掲げるのは「徳川家康」

しかし、関ヶ原の戦いは、思った以上にアッサリと終結し、東軍の徳川家康の勝利で幕を下ろすこととなります。

実は、関ヶ原の戦いが始まるまで、西軍が圧倒的に有利と云われておりました。

これは地形的にも、兵士の数をとっても西軍の勝利は間違いがないと云わるほどでした。

しかし、戦国きっての頭の冴えを持ち、「神算鬼謀・権謀術数」を悠々と使いこなす「真田昌幸」は、当初から西軍の勝利を疑っていました。

それは、昌幸が西軍の内情を誰より把握し、西軍が仲違いをして離反が相次ぎ、やがて内部分裂が起こり、三成が孤立することを意図していたからです。


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昌幸は、万が一ということも考えていました。

そこで、長男の信之を東軍の徳川家康に付け、西軍の石田方へ幸村を付けました。

信之が東軍に付き、幸村が西軍に付いた理由とは、単純明白で、信之の妻が徳川方の重鎮であり徳川四天王と云われた本田忠勝の娘である「小松姫」が信之の妻であったためです。

しかし、関ヶ原の戦いの結果は、あなたもご存知の通り、東軍の大勝利で終わってしまします。

そして、西軍に味方した大名のそのほとんどは、処刑(死罪)されました。

しかし、こと幸村に関しては、兄・信之が徳川方の重鎮でもあり、また、家康が信之の才や、忠節を尽くす人間性を高く評価していたので、幸村を処刑(死罪)にすることはしませんでした。

しかし、お咎めなしというのも、他の者への示しが付かないので、処刑として「流罪」を真田幸村と父・昌幸に申し付けたのです。

そして、その流刑先というのが、この「高野山・蓮華定院」であったということです。

  • 流刑の後、父・昌幸は1611年(慶長16年)に死去。
  • 幸村は、1612年(慶長17年)に「僧侶へ転籍」します。

そして、幸村が僧侶へ転籍してから2年たった1614年(慶長19年)に、「高野山(九度山・真田庵)」から飛び出して、長野県・上田の庄にいる真田ゆかりの重鎮を集めて、豊臣秀次が鎮座する大阪城へ馳せ参じ、この後に「真田の兵(つわもの)・日本一」の名言が生まれることとなります。

高野山・蓮華定院の宿泊情報

和歌山県 高野山 宿坊 蓮華定院の4つの宿坊料金体系

蓮華定院の4つの宿坊料金体系

  • 9720円~
  • 11500円~
  • 13500円~
  • 15500円~

※料金によって、料理や部屋の間取りや、部屋の仕様が違うようです。

予約方法

高野山 宿坊 蓮華定院の予約方法は以下↓の電話番号へ問い合わせください。

高野山・蓮華定院へのお問い合わせ先「住所・電話番号・営業時間・定休日」

住所

  • 和歌山県伊都郡高野町高野山700番地
電話番号

  • 0736-56-2233
    ※他に先祖供養、納骨、祈願のお問い合わせもコチラから。
営業時間

  • チェックイン:15時/チェックアウト:10時
定休日

  • 年中無休
駐車場収容台数

  • 乗用車10台
  • バス3台
駐車料金

  • 無料
設備

洋式トイレ、冷暖房付き、インターネット無料、無線LAN付き、歯ブラシ、欲衣、ハンドタオル、ジャンプー、リンス、ボディソープ、ドライヤー

高野山・蓮華定院へのアクセス・行き方「車・バス」

高野山・蓮華定院の地図

徒歩

金剛峯寺から徒歩で約10分、距離にして約700mです。

南海バス

高野山ケーブル高野山駅(「奥の院」行きのバスへ乗車)

「千住院橋」下車

↓(所要時間:徒歩3分)

蓮華定院

  • 高野山駅からの距離:1138m

高野山内のアクセスやバス(南海バス)の関しては当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

「南海バス」で高野山内を観光!「高野山駅・金剛峯寺・奥の院・大門など)へのアクセス・所要時間・運賃など【早見表】

高野山へバス(高速バス・南海バス)でのアクセス・行き方「東京・名古屋・大阪・京都・神戸・広島・福岡」から高野山内へ


高野山駅より「県道118号線」へ向い南西に直進

  • 所要時間:約10分
  • 距離:約2km

最寄りの駐車場に関しては当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

高野山 おすすめ駐車場の「混雑・渋滞・満車状況」と「営業時間・駐車料金(無料・有料)(地図・PDFダウンロード可能)

その他、蓮華定院で経験できること

「朝勤行」

毎朝、6時から本堂にて朝のお勤めが行われます。
朝のお勤めの時間は40分程度です。

ここ、蓮華定院の朝勤行は少し他の宿坊とは違った趣向があり、なんと!英語で法話聞けるそうです。

これは近年、高野山へ外国の参拝客が急増したために、このような英語の法話が催されるようになったようです。

ちなみに夕方にもお勤めがあり、これは5時30分から行われます。
時間も朝と同じく40分間ほどになります。

蓮華定院では、他にも、以下のようなものが催されています。

「写経」

高野山真言宗の経典を写経(書き写し)ます。精神と集中力が鍛えられ、さらに字がうまくなります。
集中することで、他の事を考える余計な思考がなくなり、ストレスが発散できます。近年では東京で開かれる「高野山カフェ」という場所でも写経ができるそうです。大変、人気です。

  • 写経の用紙代:1枚100円

「阿字観」

阿字観とは、大師・空海が編み出した独自の座禅方法です。

大日如来を表現するとされる「阿」の梵字の前に座し瞑想を行います。

このようにして「阿」の梵字の前で瞑想を行うことで大日如来と一体化し大日如来の世界から悟りを得ることができるとされています。

写経同様に静けさの中に自我を見出し、新たな境地を見ることを目的として行います。

  • 高野山・蓮華定院の宿泊に関してはコチラから
  • 蓮華定院以外の高野山・宿坊の宿泊に関してはコチラから
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