高野山(金剛峯寺所蔵)・諸尊仏龕【国宝】

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高野山(金剛峯寺所蔵)・諸尊仏龕【国宝】

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制作年

  • 不明
  • 推定:西暦601年(推古天皇9年)から西暦700年(文武天皇4年)/奈良時代
大きさ

  • 高さ:23cm
形状

  • 八角筒形
材質

  • 白檀(びゃくだん)
国宝指定年月日

  • 1964年(昭和39年)5月26日

諸尊仏龕の読み方

高野山の境内には難しい表記の堂舎や仏像がありますが、「諸尊仏龕」は「しょそんぶつがん」と呼称します。


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ところで・・諸尊仏龕とは?

諸尊仏龕の意味を紐解く時、まずは「諸尊(しょそん)」と「仏龕(ぶつがん)」に分けて考えると意味が把握しやすくなります。

「諸尊」とは、諸々(もろもろ/たくさんの)の尊ぶべき仏と言う意味合いになります。

仏龕とは、堂舎や塔などの内部に仏像や経典を安置(大事に保管)するために設置された小部屋と言う意味になります。

この小部屋の大きさとは、例として60サイズほどの小箱のような物から、大人1人が生活できるほどの広さの小部屋までと色々あり、保管する仏像や経典の量によって異なると言った解釈になります。

これらを総称して仏龕と言います。

以上の諸尊と仏龕を合わせると「諸々の仏像を安置しておく小さい入れ物」と言う風に解釈することができます。

諸尊仏龕の歴史・由来

諸尊仏龕は大師・空海が806年に唐から日本へ持ち帰った物の1つです。

大師・空海は804年(延暦23年/平安時代初頭)に中国・唐へ遣唐使として渡海し、阿闍梨(あじゃり=高僧の位)・恵果(えか/けいか)と言う師匠ともなるべき人物と運命の出会いをします。

恵果はこの時、真言密教・第7祖として青龍寺と言う寺院に座しており、大師・空海は恵果から真言密教の奥義を得るために、この青龍寺で修行をすることになります。

しかし空海を一目見た恵果は、空海が想像を絶するほどの荒行を重ねてきたことを知り、修行開始日からいきなり奥義を伝授したと云われております。

そして修行が開始された後、ぬぅぁんと!大師・空海はたった半年間で密教の奥義を会得するに至ります。

驚くのはそればかりではなく、ぬっ、ぬっ、ぬっ、ぬぅぁんと!真言密教の後継者として指名されることになり、その後継者の証として「諸尊仏龕」を受け取ることになります。

しかし、翌年となる806年に恵果は、空海と言う最高の弟子と後継者に巡り会い、自らの人生における役目を果たしたことを悟ったかのように、静かに息を引き取りこの世を去ることになります。

師である恵果が去った後、空海は日本へ帰国することになります。

帰国の際には唐から持ち帰る経典や宝物類がたくさんあったそうですが、師・恵果から授かった諸尊仏龕だけは肌身離さず、大切に持ち帰ったとのことです。

以降、大師・空海は、この諸尊仏龕を片時も離すことはなく、常に自らの肌身の近い場所に置いたそうです。

このことから別名で「枕本尊(まくらほんぞん)」とも呼称されています。

諸尊仏龕の造り・特徴

諸尊仏龕は、霊木と称される香木の一種、白檀(びゃくだん)を高さ23cmで3つ切り出し、これをもとにして制作されています。

これら3つのそれぞれ1つには仏、菩薩、侍者が彫られており、3つ合わせると合計で25体の像が彫られています。

中央の白檀には釈迦如来が彫られ、他の2つを束ねる形で座しています。

これら3つを蝶番(ちょうつがい)と呼称される金具でつなぎ止め、閉じると1つに重ねられる仕様になっています。

諸尊仏龕の中を見れば分かりますが、彫る道具が現在ほど無い時代に驚くほど細かく彫られているのが分かります。

当時の唐では、このような細かい工芸品がたくさん作られていましたが、その中でもこの諸尊仏龕は飛び抜けて類を見ない至高の意匠であり、国宝を通り越した「全世界人類の至宝」とも言えます。

諸尊仏龕の場所

諸尊仏龕は高野山・金剛峯寺に所蔵されています。

常時ではありませんが霊宝館でも見ることができます。

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