高野山 壇上伽藍・「東塔」

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高野山 壇上伽藍・「東塔」

壇上伽藍・「東塔」

創建年

1127年(大治2年)

再建年

1984年(昭和59年)

建築様式(造り)

二重多宝塔

発願者

高野山・金剛峯寺

高野山 壇上伽藍・東塔の読み方

高野山の境内には難しい漢字の表記で読みにくい名前の堂舎や仏像がありますが、東塔は「とうとう」と読みます。

高野山 壇上伽藍・東塔の歴史・由来

壇上伽藍・東塔は、1127年(大治2年/平安時代)に後白河法皇の発願で、「醍醐三宝院(醍醐寺/京都府京都市伏見区)の勝覚(しょうかく/醍醐寺座主・権僧正)」に手によって造営されました。

壇上伽藍の境内の「東塔」は、壇上伽藍の右側に建てられている二重塔です。

創建年当初から現在の蛇腹道から壇上伽藍へ入ってすぐの右脇にありました。

しかし1843年(天保14年)に、高野山で大火災があり、この時に焼失しています。

その後は、再建されることなく、土台の礎石のみが晒されていましたが、1984年(昭和59年)に「弘法大師御入定1150年御遠忌記念」の記念事業として140年経て再建が成っています。

よって、現在見ることのできる東塔は1984年(昭和59年)に再建された時の姿になります。


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高野山・東塔のご本尊

高野山・東塔の本尊は「尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょうそん)」です。

尊勝仏頂尊は後白河法皇の身長を計測して等身大で造立された像になります。

また尊勝仏頂尊の脇侍(きょうじ)として両脇に「不動明王」と「降三世明王(ごうざんぜみょうおう」がお祀りされています。

「不動明王」は知っている方も多いと思われますが「降三世明王」の方はあまり聞きなれない名前の仏様なので知らない方も多いと思います。おそらく祭祀されているのも珍しい仏様です。

まぁそれもそのハズです。この仏様は「真言密教特有の仏様」になるからです。

降三世明王の「三世」とは何を指し示すかお分かりになるでしょうか?

「三世」とは仏教における3つの強欲を示す「三毒(さんどく)」の「貪(とん)・瞋(じん)・癡(」のことです。

三世(三毒)の意味

  • =貪欲(どんよく)
  • =(怒り)
  • =(無知)

その他、降三世明王は「過去・未来・現在」を統べる明王で、「過去・未来・現在」においての「三毒」を統べる明王とされています。

この降三世明王が珍しい箇所は他にもあり、ぬっぬっ..ぅわぉ、なんとぉ!!「神様を踏みつけにした姿」で造立された仏像だと言うじゃ、あ~りませんか!!

画像先:https://ja.wikipedia.org

そしてここでの神様とはインドのヒンドゥー教の最高神「シヴァ神」と、その妻である「パールヴァティー(烏摩神(うま))」になります。

降三世明王がヒンドゥー教の最高神を踏みつけにしている理由

降三世明王の母でもある大日如来は、ヒンドゥー教の未来を案じていました。

そこでヒンドゥー教を救済すべく降三世明王を最高神「シヴァ神」とその妻である「パールバティ(烏摩神(うま))」のもとへ送り込みます。

そして降三世明王は見事!2神を調伏したという訳です。

降三世明王は真言密教における金剛界では東側を守護する明王であり、これは「金剛界五仏(五大明王)」の一尊を意味します。

金剛界五仏(五大明王)

  • 東:降三世明王(=阿閦如来/あしゅくにょらい)
  • 西:大威徳明王(だいいとくみょうおう)
  • 南:軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)
  • 北:金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)
  • 中央:不動明王(=大日如来)

尚、不動明王(大日如来)を除いたものを「金剛界四仏」とも呼称します。

ちなみにこの東塔のご本尊は一般非公開です。

高野山・東塔の場所

高野山・東塔は壇上伽藍のもう1つの出入り口となる「蛇腹道」を入ってスグに位置します。

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