高野山 壇上伽藍・「西塔(さいとう)」

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高野山 壇上伽藍・「西塔(さいとう)」

壇上伽藍・「西塔」

創建年

886年(仁和2年)

再建年

1834年(天保5年)

建築様式(造り)

二重多宝塔

大きさ

高さ:27.27m
四辺:約10m

発願者

真然大徳

高野山金剛峯寺「西塔」の読み方

高野山の境内には難しい漢字の表記で読みにくい名前の仏像や堂舎がありますが、「西塔」は「さいとう」と読みます。


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高野山・金剛峯寺「西塔」の歴史・由来

西塔は二重塔で886年(仁和2年)の空海の甥であり、弟子でもある「真然(しんねん)」によって建立されました。

詳しくは光孝天皇(こうこうてんのう)の勅命を受けた真然(真然大徳)によって造営が開始されています。

本来は根本大塔と時を同じくして造営される計画でしたが、様々な諸事情によって大幅に造営開始が遅れることになります。

西塔の内部には、「金剛界大日如来像」が中心に安置され、その周りを「胎蔵界四仏」が祀られています。

これは根本大塔の内部に安置されている「胎蔵界四仏(大日如来を含めて「胎蔵界五仏」とも呼称されます)」と双璧を成す、壇上伽藍においての極めて重要な位置づけを持つ塔になります。

一説によると、大師・空海が伽藍の造影計画を記したとされる「御図記(ごずき)」に記載されていた伽藍の配置図をそのまま反映したのが現在の壇上伽藍の姿と云われております。

つまり大師・空海が創造した伽藍において、この西塔が「根本大塔とセットになった多宝塔である」と考えるのであれば、この西塔は非常に重要な意味合いを持つ塔になります。

尚、この西塔は現在までに5度もの火災によって焼失したおり、現在、見ることのできる西塔の姿は1835年(天保5年)に再建されたものです。

西塔の内部

西塔の内部には堂舎を支える柱が37本あります。

これは大日如来を中心とした金剛界のマンダラ37尊をあらわしていると云われております。

胎蔵界四仏とは?

胎蔵界四仏とは、大日如来を中心とした各方角を司る仏のことです。

  • 東の方角を司る仏・「宝幢如来」。悟りを開こうとする心を現す「発心」を持つ。
  • 南の方角を司る仏・「開敷華王如来」。悟りの境地へ向かって努力を積む「修行心」を持つ。
  • 西の方角を司る仏・「無量寿如来」。悟りの境地へとたどり着く実感を得る心「菩提」を持つ。
  • 北の方角を司る仏・「天鼓雷音如来」。悟りの境地にたどり着き、自らの悟りを得た心を現す。「涅槃」を持つ。

そしてこれに「金剛界五仏」の一尊である「大日如来」を中心の配した形が上述の「胎蔵界五仏」となります。

つまりこれら金剛界と胎蔵界の四仏は大日如来の四方の方角を守護しているといった解釈になります。

高野山・金剛峯寺「西塔」の場所

高野山・金剛峯寺「西塔」は壇上伽藍を中門から入って御社の後方、孔雀堂の左脇に位置します。

蛇腹道から入った際は、そのまま壇上伽藍を直進した最奥に位置します。

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