高野山・金剛峯寺の歴史(年表)と由来

スポンサードリンク

高野山・金剛峯寺【世界文化遺産】【和歌山県指定文化財】

創建年

1869年(明治2年)※金剛峯寺の成立
1132年(長承元年)※大法院の創建(前身)
1590年(天正18年)※興山寺 (廃寺)の創建(前身)
1592年(天正20年)※青巌寺の創建(前身)
1934年(昭和9年)※奥殿と別殿の建立

1984年(昭和59年)※新別殿の建立
1967年(昭和42年)※阿字観道場の建立

再建年

1862年※主殿再建
1869年※興山寺と青巌寺が合併し「金剛峯寺」へ(境内に渡廊設置)

建築様式(造り)

入母屋造り

屋根の造り

檜皮葺

大きさ

主殿:東西約60メートル、南北約70メートル
面積:48295坪

宗派

高野山真言宗

山号

高野山

正式名

高野山真言宗・総本山「金剛峯寺」

札所指定番号

真言宗十八本山18番
西国三十三所特別札所
神仏霊場巡拝の道13番

世界遺産登録年月日

2004年(平成16年)7月7日

発願者

太閤秀吉(豊臣秀吉)

造営者

応其上人

金剛峯寺の名前の由来や読み方

金剛峯寺」は「こんごうぶじ」と読みます。

金剛峯寺”とは高野山全体を指す名称でもあり、高野山真言宗の総本山でもあります。

高野山内の宿坊寺院はすべて金剛峯寺の塔頭(たっちゅう/=子院)になります。

金剛峯寺の読み方や意外な名前の由来は以下の別ページにて詳しくご紹介しています。

 関連記事:高野山「金剛峯寺」の本当の正しい読み方や名前の由来とは?




高野山・金剛峯寺の歴史

現在の金剛峯寺は、1592年(天正20年)に豊臣秀吉が母親の菩提(ぼだい)を弔(とむら)うために、高野山・大門などを再建した高野山の高僧「応其上人(おうごしょうにん)」に命じて造営した「青巖寺(せいがんじ)」が前身となります。

以降、度々、火災に見舞われましたが、現在みることのできる姿は1832年(天保3年/江戸時代後期)に再建されたときのものです。

その後、さらに数度の火災で焼失しましたが、1863年(文久2年)に再建されています。

1868年(明治元年)には、明治政府から「青巖寺」を「金剛峯寺」に改号するように指導され、その翌年となる1869年(明治2年)、隣に建っていた興山寺(こうざんじ)と合併して「総本山・金剛峯寺」となって現在に至っています。

金剛峯寺には前身となる寺院があった?!

少し上記で触れましたが、現在の金剛峯寺には前身となる寺院や施設が存在しています。

  • 大法院
  • 高野山大学林
  • 青厳寺
  • 興山寺

この中でも特に現在の金剛峯寺の前身と呼べるものが「青厳寺」です。1593年(文禄2年)に時の天下人「太閤・豊臣秀吉」の母親である大政所が死去し、その御霊を弔うために太閤秀吉は、応其上人に命じて現在の金剛峯寺の建つ場所に「青厳寺(せいがんじ)」と称される寺院を建立しています。

やがてその青厳寺も合併することになりますが、この後、火災が発生し焼失してしまいます。よって現在見ることのできる金剛峯寺は焼失後に再建された姿です。

なお、前身であった青厳寺の面影は一部ですが現存しており、「正門(バス停の降車場付近の門や通路)」や「かご塀」などの一部が残されています。

総本山「金剛峯寺」の組織構成

高野山の総本山の機能は、本来は以下のように組織が別々のものとして存在していましたが、これらすべてを統合することで「高野山真言宗の総本山」としています。

このため「総本山金剛峯寺」では、高野山全体の宗務一切を取り仕切っています。

学侶方

学侶方」とは「がくりょがた」と読み、これは密教の研究や祈祷に専念する僧のことです。

行人方

行人方」とはぎょうにんかた」と読み、これは寺院経営や諸堂の管理をする僧のことです。

聖方

聖方」とは「ひじりかた」と読み、これは布教活動等をする僧のことです。

金剛峯寺の歴史(年表)

平安時代

年(西暦)起こったこと
816年(弘仁7年)6月19日、弘法大師・空海が高野山の下賜を請い7月8日に高野山開創の勅許を得る
818年(弘仁9年)弘法大師・空海、勅許後始めて高野山に登る
819年(弘仁10年)弘法大師・空海、高野山の山頂で七里四方に結界を張り、伽藍建立に着手。はじめに「明神社」を建立す。
835年(承和2年)3月21日、弘法大師、高野山奥之院に入定される。
883年(元慶7年)大師の甥「真然」が陽成天皇に高野山参詣による罪障消滅や弥勒菩薩の救済による功徳を説きすすめる
900年(昌泰3年)宇多法皇、高野山参詣
年(西暦)起こったこと
919年(延喜19年)観賢、東寺と金剛峯寺座主を兼務する
921年(延喜21年)空海、入定後「弘法大師」号を賜る
994年(正歴5年)落雷による火災で諸堂塔が焼失、高野山は以後衰退する
1016年(長和5年)祈親上人定誉が高野山復興に着手する
1023年(治安3年)仁海の勧誘により藤原道長登山して再興する
1026年(万寿3年)藤原道長の娘の上東門院の納髪が行われる
年(西暦)起こったこと
1088年(寛治2年)白河上皇が高野山参詣す。大塔再建の宣旨を下す
1103年(康和五年)大塔落慶
1114年(永久2年)
覚鑁上人
(高野山教学中興の祖)高野山に登り約8年間修行する
1130年(大治5年)覚鑁上人が伝法院を建立
1132年(長承元年)大伝法院落慶
1134年(長承3年)覚鑁上人院宣により伝法院と金剛峯寺の座主を兼職
1135年(長承4年)覚鑁上人、両座主職を自ら辞す
1140年(保延6年)覚鑁上人、高野山から追われ700余人の僧侶を連れてふもとの根来寺に移る
1143年(康治2年)覚鑁上人(興教大師)入寂
年(西暦)起こったこと
1149年(久安五年)大塔に落雷、御影堂を除き伽藍全焼
1150年(久安6年)金堂落慶
1156年(保元元年)平清盛が大塔再建に尽力する
1140年(保延6年)覚鑁上人、高野山から追われ700余人の僧侶を連れてふもとの根来寺に移る
1143年(康治2年)覚鑁上人(興教大師)入寂
1149年(久安五年)大塔に落雷、御影堂を除き伽藍全焼
1150年(久安6年)金堂落慶
1156年(保元元年)平清盛が大塔再建に尽力する

鎌倉時代

年(西暦)起こったこと
1185年(文治元年)明遍(後の高野聖の一流派の祖)奥之院で弘法大師の御影を拝す
1186年(文治2年)この頃から平家の落武者や没落貴族が高野山に逃れてくるようになる。
さらに高野聖らの唱導によって高野山への納骨信仰が広まる
1192年(建久3年)法然上人・日蓮上人 高野山で修行する
1198年(建久9年)行勝上人、一心谷に不動堂(現、壇上伽藍)を建立
1223年(貞応2年)北条政子が、金剛三昧院に多宝塔(現存・国宝)を寄進する
1253年(建長5年)木版印刷物「高野版」の出版が始まる
1265年~1285年
(文永2年~弘安8年)
高野山の麓「慈尊院」から伽藍まで町石が建てられる




安土桃山時代

年(西暦)起こったこと
1392年(明徳3年)足利義満が2度登山する
1406年(応永13年)「竪精論議」が始まる。(竪精論議:二者対立して論議の勝敗を競う)
1521年(大永元年)伽藍の諸堂、焼失する
1581年(天正9年)織田信長、高野山攻めを開始する
1585年(天正13年)豊臣秀吉、高野山焼き討ちを画策するが応其上人の説得により中止。
高野山の寺領が認められる
1590年(天正18年)太閤秀吉、興山寺建立を発願。応其上人が造営。
1593年(天正20年)太閤秀吉、青厳寺建立を発願。応其上人が造営。
1630年(寛永7年)伽藍の諸堂、焼失する
年(西暦)起こったこと
1688年~1704年
(元禄年間)
参詣人の増加に伴い、この頃から僧侶以外の職人や町人が数多く高野山に住むようになる
1705年(宝永2年)現在の二層二重門の大門が完成
1843年(天保14年)落雷により伽藍全焼
1847年(弘化4年)紀州徳川家が檀主となって現在の御影堂を再建する

明治時代

年(西暦)起こったこと
1869年(明治2年)青厳寺・興山寺を合併し「金剛峯寺」と名称を改める
1871年(明治4年)高野山、寺領を国へ返す
1872年(明治5年)高野山、女人禁制を解く
1891年(明治24年)高野山内の子院610ヶ寺が統廃合される。結果、約130ヶ寺になる。
1900年(明治33年)高野山「大師教会」が発足する
1905年(明治38年)女人の入住が公式に認められる
年(西暦)起こったこと
1926年(昭和元年)伽藍の金堂全焼
1929年(昭和4年)南海電車が極楽橋まで開通
1930年(昭和5年)ケーブルカーが開通
1932年(昭和7年)伽藍の金堂落慶
1937年(昭和12年)伽藍の大塔落慶
1946年(昭和21年)金剛峯寺を総本山とする高野山真言宗が設立される。

金剛峯寺の見どころ

金剛峯寺の見どころについては以下の別ページにてご紹介しています。

金剛峯寺の拝観料金・営業時間・見学所要時間

金剛峯寺の拝観料金・営業時間・見学所要時間については以下の別ページにてご紹介しています。

高野山・金剛峯寺のINFO

住所:伊都郡高野町高野山132
電話番号:0736-56-2011
FAX : 0736-56-4640
URL:https://www.koyasan.or.jp/

関連記事一覧

関連記事:

スポンサードリンク -Sponsored Link-


当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。