【高野山最大の大きさを誇る巨大地蔵像】「お竹地蔵尊(女人堂)」

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女人堂の前にはクソでかいお地蔵さんが座っています。

実はこのお地蔵さんにはちょ〜っとした由来があることはあまり知られていません。

高野山(女人堂)「お竹地蔵尊」

建立年:1745年(延享2年)5月15日

建立者:横山竹さん

「お竹地蔵尊」の名前の由来

お竹地蔵の「お竹」とは、このお地蔵さんを建立した「横山竹さん」の「竹」という方の名前が由来となっていまする。

「お竹地蔵尊」のヨイショ‥‥ではなく由緒

このお竹地蔵は安政年間にたて続けに起きた江戸の大地震によって亡くなった大勢の方の御霊を弔うために、横山竹さんが奉納されたお地蔵さんです。

このお地蔵さん、高野山内においての鋳銅製仏像としては最大の大きさを誇るとのことですが、やはり、その大きさから拝察することができるように、おそくら大勢の方が亡くなられたので、可能な限り大きなお地蔵さんを建てて、より多くの人の御霊を弔おうとした竹さんや造立者(作者)の思いが伝わってくるようです。

横山竹さんがお地蔵さんを奉納した理由

横山竹さんは江戸の大地震によって亡くなった亡き夫の供養のために江戸から高野山を目指し、町石道を通ってこの女人堂までたどり着いて、女人堂で参籠したそうな。

そして参籠している最中、不思議な霊夢を見たそうなのですが‥‥、なんでもお地蔵様が突如として夢にあらわれたそうな。

そのことに縁を見出し、地蔵尊の建立を思い立ったとのこと。

30年間身を粉にして稼いだ金でお地蔵さんを建てた

普通の人の理解を超えた考えですが、もはや悟りの境地を得たのかもしれませんが、30年間も身を粉にして働いて貯めたお金でお地蔵さんを建てるなど、なかなかできるものじゃありんせん。

越後屋とオでぇ〜官様であれば、金がワンサカと湧いてくるので、簡単に奉納できてしまうのかもしれまっしぇんが、ごく普通の一般人が30年間も働いて貯めたお金をすべて投じて、自分のものはならないお地蔵さんを建立するなど、おそらく通常の人間の理解の範疇を超えた行いでしょう。

それだけ夢で見たお地蔵さんに尋常ならざるまでの共感を覚えたのでしょう。

それゆえ、歴史に名が残り、後世にまで語り継がれるのですが‥‥‥

ひょっとして、横山竹さんはこういったことも加味して、後世に地震の悲惨さと地震で犠牲者を減らす努力をするようにするような一種の教訓のようなものを悟らせるためにお地蔵さんを建てたのかもしれません。

横山竹さんとは?

このお地蔵さんの刻銘を見れば「横山竹さん」の名前の他に「飯田町」と刻字されていることから、江戸の飯田町(いいだまち/現在の千代田区飯田橋)の方ということになりまする。

「お竹地蔵尊」のご利益

良縁招来(縁談)、信仰を伴う宗教的学問(神学)、多産(子授)、水子供養など


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「お竹地蔵尊」の立て看板の内容

立て看板【その1】

この地蔵尊は安政年間江戸の大地震でなくなられた人々のため、又自分の父母の菩提のために自分の身を仏様に捧げて30年の年期奉公し身を粉にして蓄えたお金で建てられたお地蔵様です。

建立された人は横山竹さんと申される女性で江戸(もと飯田町)のかたです。

女人堂前のお竹地蔵さんと崇められ、今なお多くの参拝者で線香の煙が絶えることがありません。

お願い事は縁談、神学、子授、水子供養等をお聴き届け下さいます。

総本山 金剛峯寺

 

立て看板【その2】

お竹地蔵は高野山上の鋳銅製仏像としては最大級のものであり、そのなは建立主である「横山たけ」さんの名前に由来しています。

台座の銘文から建立主が江戸の元飯田町の方であり、延享2年(1745年)5月15日に建立されたことがわかります。

横山さんが亡夫の供養のため高野山に登山し、女人堂で参籠しているとき、お地蔵様が夢にあらわれたことから、地蔵尊の建立を思い立ったと伝えられています。

総本山 金剛峯寺

「お竹地蔵尊」の場所(地図)

 

「お竹地蔵尊」への交通アクセス

「お竹地蔵尊」を向かい見て右横に女人堂バス停があるので女人堂への交通アクセスと同義です。

⬆️右端に見えるバス停が「女人堂バス停(南海りんかんバス)

女人堂への交通アクセスについては下記ページをご覧くだすわぁぃ❤️

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