高野山・壇上伽藍「蓮池(はすいけ)」
高野山 壇上伽藍・「蓮池」の読み方
高野山の境内には読みにくい名前の堂舎や御祭神がありますが、蓮池は「はすいけ」と読みます。
「蓮池」の名前の由来
実はこの蓮池には、昭和の初頭まではこの池に蓮がたくさん群生していたようです。その蓮に因んで「蓮池」の名前が付されています。
現在では蓮の面影は見当たりませんが、現在に至っても変わらずに「蓮池」の名前で呼ばれています。
また、この蓮池は、金堂の近くにあるため「金堂池」とも呼ばれていた時期もあったようです。
えぇっ?!高野山・壇上伽藍「蓮池」には仏様が祀られいる??
実はこの蓮池には、なんと!仏様がお祀りされています。
その仏様の名前を「善女竜王(ぜんにょりゅうおう/善如龍王)」と呼称し、「雨乞いのご利益をもつ仏様」として有名です。
善女竜王の父親は「八大竜王(はちだいりゅうおう)」の一尊「沙掲羅龍王(しゃかつらりゅうおう)」であり、その三女でもあります。
善女竜王は、このような神苑や池、川など水に関係のある場所にお祀りされていることが多い仏様です。
善女竜王が壇上伽藍「蓮池」に祀られた理由
善女竜王が壇上伽藍の蓮池にお祀りされた理由とは、その昔、「干ばつ」に苦しんでいた民衆を救うために、瑞相院(ずいそういん)の僧「慈光(じこう)」が1771年(明和8年/江戸時代)に善女竜王像と仏舎利(ぶっしゃり)を寄進されたためです。
善女竜王像をお祀りする際、蓮池の中島に祠(ほこら)を造ってお祀りすると、なんと!瞬く間に大雨が降りだしたそうです。
善女竜王に関しては当サイトの以下の別ページにてご紹介しております。
善女竜王と大師・空海の「こんなエピソード話」
あまり知られていませんが、824年(天長元年/平安時代)の日本は関西地方を中心に「大干ばつ」に見舞われています。
この時に淳和天皇(じゅんなてんのう)が法相宗「守敏(しゅびん)」と大師・空海に命を下し、「雨乞いの祈祷」を行うように下命されています。
実はこの当時、守敏と大師はたびたび意見を重ね、意見が噛み合わず、対立していた仲でした。
2人がそれぞれ雨乞いを行うも、いっこうに雨が降る気配がないので、不思議に思った大師は原因を調べてみました。
すると、なんと!日本中にいた「雨を降らす龍」が守敏の手によって瓶に封じ込められていたそうです。
しかしただ一匹の龍だけは、封じられずに「阿耨達池(あのくだっち/ヒマラヤの北にある伝説の池)」に戻っていたので、大師はすぐさまこの龍を呼び寄せて、大雨を降らしたそうです。
そして大師が呼び寄せた龍こそ「善女竜王」になります。
・・といったお話です。
つまりこの蓮池も大師と深い縁のある池ということになります。
現在では雨乞いをすることは稀ですが、例年に比べて飲料水不足や不作のときには、実は水面下で管轄の神社で雨乞いのご祈祷が執り行われたり、神輿を出して雨乞いすることもあります。
蓮池のにかかる橋「太鼓橋」
蓮池には、古来、東側から小島に向けて太鼓橋が架かっていましたが、2015年に池の西側から小島に向けて新しい太鼓橋が造営されました。
つまり橋が2本になったわけです。
新しい橋の「橋脚はコンクリート造り」、「橋全体の造りは太鼓橋」、「総長:約16m、幅:約2.5mの木製」です。
少し離れてこの2つの橋を見ると、小島を経由して一直線になり、まるで2つの太鼓を描いたような光景になりました。
尚、この蓮池は鎌倉時代以降の絵図にもあって、2本の橋や3本の通路が描かれていて、時代とともに形が変化しているようです。
蓮池の小島を新旧2つの橋で結んだことで、法要などの行事を行う際のルートや、拝観コースも変わって観光の楽しみは増えました。
高野山・壇上伽藍「蓮池」の場所
高野山・壇上伽藍「蓮池(はすいけ)」は中門から入って金堂の右脇。蛇腹道から入った場合、左脇に見えてくる不動堂の奥に位置します。