高野山(女人堂)「小杉明神社」

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この小杉明神社は、明治時代まで女性が高野山に入れなかった事を物語る神社です。

高野山(女人堂)「小杉明神社」

創建年:江戸時代

祀られている神様:小杉

「小杉明神社」の名前の由来

小杉明神社の「小杉」とは、越後国の本陣宿紀の国屋で働いていたピチピチとした娘っ子「小杉」にちなんで付されてい‥‥‥申す。グホっ

※注釈※本陣宿とは、江戸時代以降に成立した種類の宿場のこと。身分の高い者(名や旗本、幕府役人、勅使、宮門跡)などが利用した。


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「小杉明神社」の由緒

1264年〜1274年(文永年間)、越後国の本陣宿「紀の国屋」に「小杉」という器量の良い娘っ子が働いていたそうな。

ある大雪の日のこと、三島郡出雲崎の代官「植松親正」が降雪がおさまるのを待つために一夜の宿を「紀の国屋」に求めた。

「紀の国屋」の主人を新蔵と言ったが妻はなく、「小杉」のほかに「小雪」という心優しいそれはそれは鼻血が止まらないほどピチピチとしまくった美しい姉妹が働いていたそうな。

実は植松親正は1年交替で佐渡国の奉行を務めており、この日はその交代の日だったので息子「信房」を伴って里帰りの途中だった。

しかし、雪は幾日も止むことはなく、振り続けたのだった。

ある日、年若い信房は退屈しのぎに宿中をウロウロとしていたところ、下の間に立てかけてあった屏風に目に留まる。

その屏風にはこのような句が書かれていた。

『けふ(今日)はここ 明日はいづくか行くすえの しらぬ我が身の おろかなりけり』

信房はこれを小杉が書いたものだと分かり、小杉に無性に会いたくなる。

そこで宿主である新蔵に話を通すと、小杉、小雪の姉妹が信房・親正の御前に挨拶に来た。

その翌朝、雪が止んだので急に出立することが決まり、その折、親正は新蔵を呼び出しこぅ告げる。

『心優しく利発的な信心深い娘を息子の嫁に貰いたい』

それを聞いた新蔵や村人たちは小杉の縁組を大変、喜んだ。

しかし、新蔵の後妻「まつ」と、まつの実家の末弟幸作はこの縁組を喜べなかった。理由は幸作が小杉にLOVEを抱いていた(慕っていた)からである。

その後、この「まつ」と幸作は共謀し、小杉に不貞疑惑をかけたのだった。

それを耳にした親正は「殿さまへのお詫びがたたぬ」と小杉を「鳩が峰」という山奥へ連れ出し、両手の指を切って谷底へ落としたのだった。

その後、小杉は山中をさまよい歩き、やがて倒れて気を失っていたところ、熊の夫婦に助けられて、以降は熊の夫婦と生活を共にすることになった。

春になり、雪が溶けた時、山に熊と共に住む女が居るという話を耳にした信房は小杉への気持ち冷めぬまま過ごしていた日々を嘲笑うかの如く、小杉を探し出し見つける。

やがて2人は結婚し、子を授かることになるのだが、再び、「まつ」の謀略によって、夫と離されてしまい、善光寺にお参りしたいと心に決め信州へ向かう。

善光寺にたどり着いた小杉たちは高野山の弘法大師の話を耳にし、救いを求めるようになった。

そこで信州を降り高野山へ向かう途中に山賊に襲われ、子供の杉松が帰らぬ乳飲み子となってしまったのだった。

その後、小杉は杉松の髪を切り取って遺髪とし、杉松は清流ながるる谷陰に葬られた。

杉松の遺髪を持った小杉は高野山へ無事辿り着いたのだったが、女人禁制が布かれ、高野山には入れなかった。

しかし、小杉がなにより驚いたのは自分と同じかそれ以上の苦しみを背負って祈りを捧げてつづけていた女性の姿を目の当たりにしたことだった。

小杉は杉松のために守り袋に忍ばせていた金子(きんす)を女性たちのために籠るお堂を建てることを決意したのだった。

やがて高野山不動坂口に籠り堂が建立されると、小杉は大師を慕って参拝に訪れるたくさんの女性たちを自らが築いた御堂へ招待した。

それだけではなく、暖かいお茶を出すなど、接待しはじめた。

やがてこの堂が巷間で「女人堂」と呼ばれるようになるのは時間の問題だった‥‥‥。

それから数年後のこと。

出雲崎代官となった植松信房が高野山へ登山することになり、運命のいたずらとも言うべきなのか妻である小杉に再開することになる。

また、新蔵の後妻「まつ」も自らが犯した罪を認め自らを戒めるために高野山へ登ってくるのだが、はからずも小杉と再開を果たすことになる。

そして「まつ」は小杉とともに女人堂にて小杉と共に報恩感謝の日々を過ごし一生を送ったとな。

また、信房も代官職にありながら、仏門への関心を抱くようになり、後年、お大師様に帰依し、共に仏門を志した‥‥‥という話。

長かった?

以上、この小杉明神社とは女人堂を建立して、多くの人々に多幸をもたらした小杉の功績を讃え、後世の人々が江戸時代に建立したものである。

小杉明神とは?

つまり、小杉明神とは「小杉」を女人堂の鎮守「小杉明神」として奉斎した祠(神社)ということ。


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立て看板の内容

その昔、越後の国に本陣宿紀の国屋があり、そこに小杉という娘さんがおりました。

数奇な人生を送られましたが、お大師様に救われ、尼僧になられて、女人禁制の高野山に登って来られる女人の方々のために不動坂上に最初の女人堂を開かれ、やさしい接待をされておりました。
その小杉さんが、女人堂の鎮守小杉明神としてお祀りされている祠です。

総本山 金剛峯寺

小杉明神社の場所(地図)

 

小杉明神社への交通アクセス

「小杉明神社」の真隣り、もしくは向かい側に「お竹地蔵尊」があり、その脇に「女人堂バス停」があるので女人堂への交通アクセスと同義です。

女人堂への交通アクセスについては下記ページをご覧くだすわぁぃ❤️

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