高野山だけはなく、寺院に訪れると石塔を見かけることがあります。
実はこれらの石塔には以下でご紹介するような種類があり、それぞれ意味や由来を持って造立され、意味や由来によって異なる形状の石塔が造立されると言ったことになります。
まず・・「石塔」とは
高野山・奥の院を歩いていると御廟橋までに至る参道の両脇に多数の石塔を見ることができます。
石塔とは「仏舎利(ぶっしゃり)」と呼称されるお釈迦様の骨が入っている骨壷を安置しておくための供養塔になります。
その他、功績を残した僧侶や偉人を祀るためにも石塔が建てられることがあります。
以下では石塔の種類と意味、由来を述べていきます。
五輪塔
五輪塔は「ごりんとう」と読み、仏教における宇宙を構成する要素「空・風 ・火・水・土」が表現されています。
詳しくは石を5つ調達してきて形状を整えて積み上げていきます。
積み上げる際、「5.土⇒4.水⇒3.火⇒2.風⇒1.空」と配し、一番上に「空」、最下に「土」がくるよう積みます。
そして各パーツの読み方ですが、以下のようにな読み方をします。
五輪塔の各パーツと読み方
上から・・
空⇒「空輪(くうりん)」
風⇒「風輪(かぜりん)」
火⇒「火輪(かりん)」
水⇒「水輪(すいりん)」
土⇒「地輪(ぢりん)」
これらの五大要素の文字が5つの各パーツに梵字で刻み込まれています。
さらに各パーツには人間の身体に例えることができ、おおよそ以下のような形状と意味合いを持ちます。
五輪塔の各パーツの形状と意味
空輪⇒「宝珠(ほうじゅ/=頭)」
風輪⇒「おわん型(=顔)」
火輪⇒「笠(三角系/=胸)」
水輪⇒「(玉=腹)」
地輪⇒「(四角形or方形/=足)」
そして、これらの下にさらに正面から見て長方形の「中台」が組まれ、さらにもっとも最下に「芝台(下台)」が組み合わさります。
以上のことから五輪塔は仏教の思想そのものを表現する仏塔であると言えます。
宝篋印塔
宝篋印塔は、おおよそ1250年頃から1333年(鎌倉時代中期)あたりから造立され始めた石塔であり、五輪塔に等しく供養塔の一種です。
日本国内でこの石塔を見かける機会はほとんど無いに等しいくらい「レアな石塔」になります。
一説では日本国内で現存しているのは僅かに10基ほどだとも言われています。
五輪塔と異なる点は、塔の内部に「宝篋印心咒経(ほうきょういん しんじゅきょう)」が収められており、これが「宝篋印塔」の名前の由来になっています。
「宝篋印心咒経」とは、陀羅尼(だらに=密教の呪文が書かれた経典)の一種のことであり、その存在すら謎とされている経典になります。
また「宝篋印心咒経」の「宝篋」とは、経典を収納しておく入れ物(箱のような物)を指します。
その他、塔の周りには真言密教における4仏を司どる梵字が刻まれます。
真言密教の4仏
真言密教には「金剛界(こんごうかい)」と「胎蔵界(たいぞうかい)」があります。
それぞれの世界には4仏が座し世界を守護しています。
金剛界の4仏
東に阿閦 (あしゅく)
南に宝生
西に阿弥陀
北に不空成就
胎蔵界の4仏
東に宝幢 (ほうどう)
南に開敷華 (かいふけ)
西に無量寿
北に天鼓雷音 (てんくらいおん)
宝篋印塔の各パーツと読み方
宝篋印塔にも五輪塔と同じくパーツがあります。
上から・・
- 相輪部分「宝珠⇒請花(うけばな)」
- 伏鉢(ふせばち)
- 隅飾(すみかざり)
- 塔身(とうしん)
- 基礎(格差間)
- 反花座(かえりはなざ)
言い伝えでは、宝篋印心咒経を収めた宝篋印塔に向かって拝することによって、過去の罪が消除されて功徳を積むことができ、寿命延命、はたまた死後は極楽浄土へ導かれるとも云われております。
無縫塔
無縫塔は「むほうとう」と読みます。
少し変わった形状をしており、上部が卵の形に似ています。
このことから「卵塔(らんとう)」とも呼称されます。
その他、ゲゲゲの鬼太郎に登場する「子泣き爺(こなきじじい)」の顔を「プロレスの北斗晶」が両手ビンタした後の形状にも似ています。
無縫塔も上記の2つの仏塔と同じく鎌倉時代に造立されはじめた仏塔です。
しかし、無縫塔が上記に2つの仏塔と異なる点は禅宗で造立された石塔であり、主に高僧や開山した僧侶を祀るための仏塔として造立されています。
また無縫塔はもとは中国で造立されはじめた仏塔であり、宋の時代に多数、造立されています。
日本へは禅宗と共に伝来しています。
現代では特に禅宗だけに限定せず、宗派を超えて造立されています。
無縫塔の各パーツと読み方
上から・・
- 阿字(あじ/大日如来を意味する種字/種字しゅじ=真言密教の呪文)
- 塔身(とうしん)
- 蓮華座(れんげざ)
- 反花(かえりばな)
板碑
別称で「板石卒塔婆」や「板石塔婆」とも呼称されます。
板碑の特徴として、上部に2本の横線が刻み込まれ、中央部に大きく梵字が刻まれます。
板碑は平安期後半から室町時代前半にかけて造立された石塔になります。
しかし関東地方に多数、分布していることから、鎌倉武士によって崇拝の対象とされ広まりを見せたと云われ、つまりは鎌倉時代に多数、造立されたことを指し示します。
板碑の各パーツと読み方
上から・・
- 二条線(2本線の刻み)
- 額部(がくぶ)
- 阿弥陀三尊を表す種字
- 根部
【補足】石塔の数え方
石塔は1基、2基と言うように数えます。
これはお墓の数え方も同じです。
他に神社や寺院の境内にある「燈籠(とうろう)」を数える時も1基、2基・・と数えます。
この「基」を付する理由ですが、「基」とは「礎(いしずえ)」と言う意味合いを持ち、礎とはすなわち「動じることなく、その場から動かなせない物」を指します。
上記の石塔を始め、お墓や燈籠も容易に「動かせない物」になります。
基本的に石製のものが当てはまりますが、木造の物でも「基」で呼称する物があります。
なんだかお分かりでしょうか?
・・そうです。重塔も「基」で呼称します。
重塔とは「多宝塔」「三重塔」や「五重塔」のことです。
ちなみに現代番の分かりやすい例では「エレベーター」や「エスカレーター」も1基、2基、と呼称します。
このように基本的に固くて動かせない物が対象になっていると言えますが、例えば専門家が「基」と言う呼称を上記以外の物に付すると、以後、その物が「基」で数えられることもあります。
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