昔から、男性の僧侶を見れば、「女人禁制」のイメージが湧いてしまします。
神社には「巫女」が存在しますが、お寺は神社とは違ったイメージで、男性社会の少し戒律の固いイメージが、どこか付きまといます。
この高野山は、山岳信仰の仏教寺の集合体で、日本仏教の聖地とも言われ、日本でも一番、仏教に関しての戒律が強い場所でありました。
しかし、日本の近代化に伴い、次第に厳しい戒律は融和されて行きました。
その高野山の戒律の中でも、特に有名なのが、「女人禁制」です。
高野山の女人禁制の戒律も、外国の文化や風習が入り交った、日本の近代化に伴い、ついに1906年(明治39年)に、開山以来の長く続いた「女人禁制の戒律」が撤廃されることになります。
高野山の女人禁制がなくなった理由とは、目覚しい明治時代からの近代化により、働く女性が増え、女性の社会進出が始まり、世論における女性の意見が強くなった時代背景もあります。
このような女性の発言力が強まる気運の中、ジェンダー(男女差別)を無くそうと言う運動が、日本国内において、全国規模で運動が勃発してゆきます。
このような近代化の流れを背に受けて、真っ先に矛の標的となったのが、「高野山の女人禁制と言う戒律」でした。
そして、ジェンダーを無くす運動や世論の力を背に受けて、ついに長く続いた高野山の女人禁制の戒律が撤廃されるのです。
女人禁制の戒律ができた4つ理由と4つの女人禁制の種類
なぜ、女人禁制なのか?を具体的にすると、3つ種類があることがわかります。
1:仏教のみならず神事においても、神前では、死・出産・血は、「穢れ(けがれ)」と言われ、恐れられていた。
つまり、女性の身体の特徴としての、「月経=生理」は、清めきれないとして、女人禁制が布かれた。
2:単純に女人禁制の場所(山中)が、キケンで治安が悪い場所であるため。
3:僧侶は、人間の持つ8つの欲を抑えることが信仰で義務付けられており、その戒律の中に「性欲」に関しての戒めがあるため、異性(女性)を近づけなくするため。
4:山中に鎮座する山の神が女性であると言う説
4つの女人禁制の由来と理由
女人禁制の理由と由来を、上記の「女人禁制の種類」を照らし合わせて、詳細をご説明いたします。
1:「神前においては、死・出産・血は、穢れと言われていた。」
女性の身体のメカニズムに「月経」と言われる「生理作用」があります。
古来から、死、出産、血液などは、「穢れ(けがれ)」と言われ、神前において、このような事態が起こることは、悪いこと(天災や、誰かが落命する)が、起こる兆しと言われ、恐れられていました。
つまり、清めても、清めきれない(=メカニズム)と言うことで、血が体内から出てしまう、生理中の女性は、神前に立つには相応しくないということで、儀式などへ参加することは許されませんでした。
事実、この現代に至っても、女性の神事の参加を拒否する、神社や寺院が存在すると言います。
ただ、これに関しては、「言葉のアヤ」として、誤解を生むことがあります。
すなわち、「穢れ」とは、けっして「汚れ」では、ないと言うことです。
2:「単純に女人禁制の場所が治安が悪く、キケンな場所であるため。」
修行の場であるのは山の中であり、山中には山賊などの「賊」が多く生息しており、治安が非常に悪く、力が弱い女性や子供がくる場所ではないと言われていました。
他にも、山中には、山賊以外にも、「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」が、生息すると言われており、強力な結界が張られていました。
そのため、魑魅魍魎に狙われやすい、女性や子供にはキケンな場所であったといいます。
3:人間の持つ8つの欲の一つである「性欲」を抑えるため
遠い昔では、「僧侶=男性」であったために、女性に対しての性欲がキツく戒められました。
つまり、性欲とは仏教で言うところの、「煩悩=欲」を意味し、性欲は、人間の中に「8つあると言われている欲」の中でも、特に一番、強い欲と言われていました。
このようなことから、異性(女性)に関しての接触は、特にキツい戒めが設けられました。
人間の8つの欲とは?
人間の8つの欲とは、「八斎戒(はっさいかい)」と言い、仏教では、以下の8つの欲を特に抑えることが戒律とされています。
『八斎戒』
- 殺さない。(不殺生戒)
- 盗みをしない。(不偸盗戒)
- あらゆる性行為を行わない(不淫戒)
- 嘘をつかない。(不妄語戒)
- お酒を飲まない。(不飲酒戒)
- 正午以降は食事をしない。
- 歌舞音曲の見聞きは厳禁。装飾品、化粧、香水など身を飾るものは付けない。
- 天蓋が付いいて、足が高い、品がある寝床(ベッド)に寝ない
4:「山の女神」の説に関しては、以下の4つの由来と歴史があります。
👯♀️4-1:遠い昔では、山の神は女性であると言われてきました。
女性の神様は、穢れを特に嫌い、死、出産、血液を、忌まわしい穢れと考えていました。
その女神の思想から、身体の作用により、清めても清めきれない、体外へ血液が出てくる女性は、穢れの存在として受け取られていました。
👯♀️4-2:山の神(女神)への捧げモノは、「男性」と言われ、女神との性交渉を行うのが、山の祭事と言われてきました。
山中へ行くと、たまに見かける摩訶不思議な「男性器(男性の生殖器)」の像があります。
これは山の神への捧げ物としての像を祀っていると言われています。
👯♀️4-3:山の神が大変、醜い容姿をした女神であるとも言われているからです。
つまり、自分以外の女性の存在が目障りなために、女人禁制を布いているとも言われています。
そのため、村近くの山寺などでは、現在でも、昔から容姿が醜いと伝わる、海魚の「オコゼ」を捧げ物としているところもあるようです。
オコゼの容姿は、変わった形をしていますので、女神よりも醜い存在のオコゼを捧げることで、山の女神が喜び、山の神の加護を授かることができると言う、伝承が今でも残っていると言います。
そもそもなぜ、高野山が危険が多い山に開かれたのか?その理由と「高野山の山岳信仰との強い結びつき」
山岳信仰とは、仏教の中の山に対しての考え方のことを言い、世界の中心には「須弥山(しゅみせん)」という高い山があって、その山の頂上には「帝釈天」が住んでいると言われています。
つまり、帝釈天が住む、山を崇拝する意味で、山中に開山するものと言われているのです。
以上のような理由が、山にお寺を開山する理由とも由来とも言われています。
女性が女人禁制であった高野山に参拝しても、効果(ご利益)が薄くならない??
これらの女人禁制の戒めは、インドの仏教の思想から生まれ、それがユーラシア大陸へ伝来して、中国を通して、ちょうど平安期の日本へ入ってきた「大陸文化の思想」の一つだと言われています。
つまり、これらはあくまでも思想だと言うことです。
実際に高野山へお勤めされている、お寺の方から、「女人禁制のお話を聞いた際に、少し聞いてみましたが、このように言っておられました。
「大事なのは、仏様を信じることです。」
「仏様を敬うことで、仏様はあなたの中に分身をおつくりになります。」
「あなたの中の仏様を敬うことが、仏様へのお祈りであり、信仰です。」
「あなたの中の仏様を信じて、目標を持ち、努力を忘れないことで、毎日、仏様の加護を受けることができます」
「ここに性別の概念がありますか?」
つまり、ご利益(効果)と言うのは、あなたの中の仏様を敬うことから始まると言うことです。
高野山にて、清らかな心でお祈りをして、仏様の分身を体内にいただき、その仏様を信じることが大事だと言う事です。
現代では、女性であっても、高野山に入山できますし、ご利益や効果も、しっかりと得られることができると言うことです。
素敵な貴方の仏様を敬って、もっともっと素敵な女性になってくださいね。
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