高野山・奥の院「禅尼上智碑」【こうや七不思議/和歌山県指定史跡】
- 高さ:約90.9cm
- 材質:砂岩製
- 和歌山県指定史跡登録年月日:1958年(昭和33年)4月1日
「禅尼上智碑」の読み方
禅尼上智碑は「ぜんにじょうちひ」と呼称します。
禅尼上智碑の由来
奥の院の参道の途中にある「中の橋」を渡った所からは石段になっています。
この石段を「覚鑁坂(かくばんざか)」と呼称しますが、この坂の途中には「禅尼上智碑」と呼称される石碑が建てられています。
石碑の高さは約90cmほどで、一見すると経年劣化してただの石にも見えますが、よく見ると碑文が刻まれているのが見受けられます。
碑文には「梵字(ぼんじ)」が一文字と、その下に「(為)禪尼上智聖霊 奉造立沙(弥)蓮阿 永和元年乙卯七月日」と刻まれています。
「永和元年」とは室町時代(南北朝時代)の1375年のこと指します。
「禅尼」と尼僧侶のことを指し「上智」とは僧侶の名前とも受け取れますが、上智とは「すぐれた人物」と言う意味合いも持つことから碑文の意味するところは定かではありません。
ただ問題の争点となってくるのは、女人禁制の高野山において女性を崇める石碑があると言うことは、さぞかし多大な功績を残した人物であると察することができます。
その他、石碑の正面は「凹み(くぼみ)」がありますが、なんと!この凹んでいる部分に耳を当てると「地獄の釜の音」や「極楽浄土の音」が聞こえてくると云われています。
ちなみの石碑の凹んでいる部分以外に耳を当てても聞こえないそうです。
勇気のある方や興味のある方は是非一度、試してください。
ひょっとしたら、別の音が聞こえてくるかもしれません。
例えば「アンパンマンのオープニングの歌」とかネ。ウフ
なお、この禅尼上智碑は和歌山県指定の史跡の1つとなっています。
高野山・奥の院「禅尼上智碑」の場所(地図)
奥の院の中の橋を渡った先の覚鑁坂の途中(入ってスグ)に位置します。付近には「姿見の井戸」や「汗かき地蔵」があります。
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