高野山 大門「仁王像」【重要文化財】

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高野山 大門「仁王像」【重要文化財】

⬆阿形の仁王像(右側)

⬆吽形の仁王像(左側)

像高(大きさ)

高さ:約5.46m※阿形像
高さ:約5.58m※吽形像

造立年

1703年(元禄16年/江戸時代)

重要文化財指定年月日

1965年(昭和40年)5月29日

作者

仏師「康意(こうい)」
仏師「運長(うんちょう)」




高野山大門の仁王像

高野山大門の仁王像は大門を表側から見て、右側に阿形像、左側に吽形像が配置されています。いずれも慶派の流れを汲む仏師たちによる造立で、おそらく京都駅ちかくの大師ゆかりの寺院「東寺(教王護国寺)」を担当した仏師である「京都七条仏所」に所属した仏師だと思われます。

仁王像の歴史

本像の造立は1703年(江戸時代)と、およそ300年の歴史を持ちます。作者となる仏師は阿形像が「康意(こうい)」、吽形像が「運長(うんちょう)」と伝えられており、金剛峯寺に伝わる資料によれば康意、運長以外にも「康伝」「康敬」の名前と、さらにこれらの仏師たちが書き記したとされる仕様書や見積書が見つかっているとのことです。

上記の仏師たちが書き記したとされる書物は、1696年(元禄9年)頃から約10年間のうちに蓄積されたものであり、これらの書類の発見によって当時、どのような過程で仁王像の造立が開始され、どのような材料や造立方法が用いられていたのかが明らかにされています。

なお、これらの資料は、いずれも重要文化財である金剛力士立像の付属品として同様に重要文化財の指定を受けるものです。

大門・仁王像の附属品一覧

  • 康伝書付:4通
  • 康意書付:2通
  • 桐箱:1合
  • 康敬書付:2通
  • 運長書付:1通
  • 桐箱:1合

仁王像の特徴

国内で2番目に大きい仁王像!

なんと!この大門の仁王像は日本国内で2番目に大きい仁王像だと聞けば驚かれますでしょうか?

ちなみに1番目はどこの仁王像かお分かりになりますか?ちょっと考えてみてください。

・・

・・

はい!残念!正解は・・

「奈良 東大寺南大門の仁王像」です!

大門の阿形像の像高は 546.0センチメートル、吽形像は558.0センチメートルあります。対して東大寺南大門の仁王像の像高は約8.4mとなり、大門の仁王像と比較するとさらに約3メートルも高さがあります。

筋肉隆々

慶派仏師の流れを汲む仏師らしく、いずれの仁王像も隆々とした筋肉が写実的に造立されています。目は玉眼、体躯には装飾が施されず素木で造立され、持物として本像が仁王像(金剛力士像)であることを表するように、金剛力士像の持物である「金剛杵(こんごうしょ)」を持っています。

大門・仁王像の作者

大門の仁王像は作者が明らかにされていますが、作者名が明らかにされている根拠は、背中部分の内側に銘札が見つかっており、その記述によるものです。

その銘札の記述によれば阿形像(向かって右側)は、京都の仏師であり高野山大仏師でもあった「康意」、吽形像(向かって左側)は京都五条の仏師・「運長」の名前が見つかっています。

大門へのアクセス(行き方)

高野山・大門へのアクセス(行き方)や問い合わせ先に関しては以下の別ページをご覧ください。

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