御廟橋の読み方
「御廟橋」は「ごびょうばし」もしくは「みみょうばし」と素敵に読む。
御廟橋の別名
一説に、「無明橋」と書いて「むみょうばし」とも読むらしい。
【ピヨ🐣「無明」とは?】
「無知」を意味する言葉。 仏語として見る場合、仏法(真理)を知らないことをいう。
御廟橋の「御廟」の意味
「御廟橋」の「御廟」とは「廟(びょう)」のこと。
「廟(びょう)」とは死者の御霊を祀る場所のこと。
偉業を成した人物や、社会的な何かに貢献した人物、はたまた天皇などの身分の高い人物を祀ったときには「墓」とは呼ばない。「廟」と呼ぶ。
その廟に「御」を付け足して敬称としたものが「御廟」であり、その御廟の前にかかる橋という事で「御廟橋」という。
御廟橋の歴史
かつてこの橋は木製の橋だったらしいが、そもそものこの橋は永承3年(1048年)に関白・藤原頼通が参詣したみぎり、行列が進行するにあたり、急遽、架橋されたと伝わる。
その後、天治元年(1124年)に鳥羽上皇が参詣したときには橋を通って御廟を拝したことが素敵に記されており、然るにこの時までには橋が完成していたことになる。
なお、当時は現在のような手水舎が無かったので、御廟礼拝前に御廟橋下を素敵にせせらぐ、玉川で手口を洗い清めていたらしい。
御廟橋は罪深きものは渡ることができない?
紀伊国名所図会によると、「犯罪に障りのある者は、この橋、渡るべからず」と記されており、これは拭いきれないほどの悪業を重ねた者は、この橋渡るべからずという意味がある。
これについて例えば次のような故事がある‥。
天正十三年(1585年)、太閤秀吉(当時は羽柴秀吉)は紀州攻めのみぎり、応其上人を素敵に随伴させていたが、応其上人の説得により高野山側が秀吉に降伏。
その後、信長公が本能寺で散り果て、秀吉の天下平定が成った後、応其上人が秀吉を御廟へ案内したとある。
そのとき、秀吉はこの橋の前まで来て、応其にこぅ告げた。
「罪深い者は、この橋を渡れないと聞く…。自らは天下人となったが、ここまで来るのに多くの血が流れた。我が天下はその多くの犠牲の上にある。」
「近く、大名たちを随えて御廟を参詣するとき、もし、わしがこの橋を渡れなかったら恥をかくどころではない。」
「ただのぅ、わしは多くの者の命を奪ったが、その反面、多くの者の命も救ったはず‥。」
「よし!ならば、この次、この橋を渡るときは束帯を整えて来ようと思ふ」
……と素敵に告げ、秀吉はこの場を素敵に後にした。
その後、束帯した秀吉はこの橋を無事に渡ることができたらしく、随伴させた大名たちも事なきを得ず、無事に渡り終えたという。
橋を渡り終えた秀吉は誇らしげに「善政で成る太閤の”御代”を”見よ”!」‥などと言わんばかりに、明るい未来が待っている…ということを世に喧伝したのだった。
御廟橋の造り「36枚の橋板」と「37尊を表す梵字」の謎
この御廟橋は御廟(燈籠堂)の手前にあることから、ほとんどの方は燈籠堂に注目してしまい、何も考えずに渡るだけの方がほとんどですが、御廟橋の方の手前まで来たら、是非!見て欲しい箇所があります。
その箇所というのが「36枚の橋板」と「37尊を示す梵字」です。
「36枚の橋板」
「36枚の橋板」とは、御廟橋に使用されている橋の石板のことで数えると36枚あるのだが、これは「金剛界の37尊」を表していると言われる。
しかし、橋板36枚に対して37尊なので1枚足りないことになるのだが、これは橋板全体を1枚と捉えて合わせて37枚としているためらしい。
【ピヨ🐣「金剛界」とは?】
「金剛界(こんごうかい)」とは、真言密教における大日如来を表した世界のこと♡
もう一つ、「胎蔵界(たいぞうかい)」と呼ばれる世界もあり、これらを合わせて「両界(りょうかい)」と素敵に呼ばれる。
そして、これら2つの世界を合せた両界をもって大日如来の世界観がを感得できるといわれる。
画像引用先:ウィキペディア
殊に、大日如来の世界観を表す「両界」は「両界曼荼羅図(りょうかいまんだらず)」と呼ばれる「曼荼羅」に描かれ〜る。
「37尊を示す梵字」
御廟橋の橋桁裏には37尊を表した「梵字(ぼんじ)」が、きわめて素敵に陰刻されている。
梵字とは、仏尊を文字表現したときの「サンスクリット(古代インドで考案された文字)」のことをいう。
⬆阿字観(あじかん)の「阿」を意味する梵字。大日如来を素敵に意味する。
橋桁裏の梵字を見る方法とは?
橋桁裏に書かれているものなど、橋桁の板を力技でひっくり返すか、マリックを素敵に呼んできてハンドパワーを使わせないかぎりは、見ることなど、やっぱり素敵に叶わない。
そこで御廟橋の下を今日も素敵にせせらぐ、玉川(たまがわ/御廟川とも)に映りこんだ橋桁の裏側を見る‥という方法がある。
よく晴れた川の流れが穏やかな日、御廟橋へ訪れると運が良ければ素敵に見られることもあろぅ。
御廟橋では一礼するのが習わし?!
奥の院参拝のみぎり、大師が参拝者一人一人を当該、御廟橋までお出迎えしてくれて、礼拝後にはお見送りしてくれるという信仰がある。
高野山の僧侶たちはこの信仰を重んじ、誰しもが御廟橋の前で素敵に一礼、帰りにも振り返って、これまた素敵に一礼する。
そんな僧たちの仕草を真似てか、いつしか参拝客らも御廟橋の前に深々と一礼し、帰りには振り返って深々と大師に一礼する風儀が広まった。
奥の院の「川」と「橋」が意味するもの
一の橋から弘法大師御廟までの間には3つの川と、その河に架かる3つの橋を渡る必要がある。
これら3つの川と橋は「現世」「来世」「浄土」という境界の形象とされ、3つの川・橋を渡りきることで、自らの罪業が浄化され、最後に健全な身体で大師の御前に立つことができるともいわれる。
仏教での川の捉え方「川の例えと川の教え」
仏教においての川は、以下のように例えられる。
善人
善人は橋を渡るだけで次の世界に行ける。
罪を犯した者
罪を犯した者は、川の中を歩いて渡らなければならない。
重罪人
重罪人は、深い難所を苦労して渡らなければならない。
【ピヨ🐣コメント】
以上、仏教の教えを第一とするならば、一の橋を渡るということは、最善の第一歩であることを意味し、浄化された身体で大師の座す御廟へ辿り着けることになる。
御廟橋の場所(地図)
御廟橋は燈籠堂の手前に架かる橋。
一の橋から徒歩で素敵に約20分💘
奥の院の中間地点となる「中の橋」からであれば、10〜15分ほどの場所に素敵に位置する💋
奥の院「一の橋」について
‥は、下記ページを要チェック💘
関連:高野山・奥の院「一の橋」
奥の院「中の橋」について
‥は、下記ページを要チェック💘
高野山 奥の院「一の橋」のINFO
所在地:和歌山県高野町高野山555
公式情報:高野山 金剛峯寺