高野山「嶽弁財天社(だけのべんざいてんしゃ)」【高野七弁天】

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高野山「嶽弁財天社(だけのべんざいてんしゃ)」【高野七弁天】

創建年

不明
推定:818年(弘仁9年)11月〜 835年(承和2年)※平安時代

御祭神

弁才天(弁財天)

発願者・造営者

弘法大師・空海(社伝)

例祭

10月18日

「嶽弁才天社」の読み方

「嶽弁才天社」は「だけのべんざいてんしゃ」と読みます。「嶽(だけの)」とは、「高くて大きな山」という意味合いがあります。

嶽弁才天社は「高野七弁天」のうちの1社!

「高野七弁天」とは?

高野七弁天」とは、高野山内に位置する弁財天を祀る7つの神社の総称となります。

  1. 嶽弁天(だけべんてん)
  2. 首途弁天(かどでべんてん)
  3. 湯屋谷弁天(ゆやにべんてん)
  4. 尾先弁天(おさきべんてん)
  5. 綱引弁天(つなひきべんてん)
  6. 丸山弁天(圓山弁天/まるやまべんてん)
  7. 祓川弁天(はらいかわべんてん)

これらの弁天は大師ゆかりの弁天でもあり、水量が確保しにくい高野山の地形のデメリットを克服するために、大師が招来して創祀した弁天様たちだと伝えられています。

このような弁天信仰は古く、奈良時代にはすでに日本に根付いていたとされています。




「嶽弁才天社」の歴史・由来

古来、高野山の周囲の山々を「外八葉(そとはちよう)」と呼称し、その中の1つにこの984.5mの標高をもつ「弁天岳」があり、その弁天岳の山頂にこの嶽弁才天社が鎮座しています。

1806年(文化3年)、江戸幕府の命によって紀州藩が編纂した「紀伊続風土記(きいしょくふどき)」によれば、嶽弁才天社にお祀りされている「嶽弁天」は、かつて弘法大師・空海が平安時代、高野山開創の折、大和(奈良県吉野郡天川村)の「天河弁天社」より勧請して創祀した弁財天であると伝えられています。

その他、大師は高野山開創前に、天河弁天社に千日参籠(さんろう)しており、そのときに用いた宝珠(ほうじゅ)の1つを持ち帰り、仏法の紹隆(しょうりゅう/=繁栄)を祈念して、この弁天岳に埋めたとの言い伝えも残されています。

ちなみに「天河弁天社」といえば、泣く子も黙る「日本三大辨財天の1つ」として有名であり、近年ではパワースポットとしてテレビ番組で放映されたり、はたまた芸能人がお忍びで参拝することでも知られています。

雨乞いの呪いとも考えられる

高野山にはこれら7弁天以外にも、例えば壇上伽藍の蓮池善女竜王を奉斎した社もありますが、ひょっとするとこれら水の神を奉斎することでいわゆる雨乞いの呪い(まじない)としているのかもしれません。

だとすればこれら高野山7弁天および、善女竜王は高野山にとって重要な意味や位置付けを持つことになります。

嶽弁才天社を天狗が守っていた?!

かつてこの嶽弁才天社が建つ「弁天岳」の杉木立には、特別大きな杉が自生していたそうで、なんでもその杉を「岳の一本杉」と呼んでいたようです。その杉の巨木には「妙音坊(みょうおんぼう)」という天狗が住んでいたと云われ、この嶽弁才天社を守っていたと伝えられています。

創建以降、高野山内の僧侶たちによって管理されていたようですが、江戸時代を境に高野山内および近郊の人々によって弁天講が結成され、現在ではその弁天講の人々によって管理されているとのことです。毎年10月18日は例大祭が執り行われています。

嶽弁才天社境内の見どころ

本殿

本殿は覆屋(おおいや)風の小さな社殿ですが、灯明(ローソク)を灯せる台が設置されていたりするなど、どこか神仏習合時代の名残を感じます。

標高984.5mということですが、社殿も新しく、幾重にも束ねられて奉納されたと思われる鈴緒や、さらに社殿の周囲を綺麗な木柵が張り巡らされている事実を察しても、やはり現在でも一際、篤い崇敬が寄せられていると共に常に管理している人がいることを物語っています。ウフ

鳥居

山頂まで来れば分かりますが、社殿の前方もさることながら、道中にもたくさんの鳥居が立てられています。その様相はまるで稲荷神社にある千本鳥居のようです。

これらの鳥居には奉納者の名前や奉納した年月日が書かれていることから、1本1本、奉納者がいる鳥居ということになります。

現在に至っても篤い崇敬が寄せられていることが、これらの鳥居の本数からみても分かるというものです。

休憩所

境内には屋根付きの休憩所があります。自販機が無いのが残念ですが、訪れるときは飲み物は必須です。

なお、休憩する場所は他にも大門から登ってきた道の途中にあります。

ただし、こちらの休憩所は山道の途中に設けられていますので、ベンチとテーブルが置かれているのみですが、見晴らしは最高です。よく晴れた日には北側に紀ノ川や和泉山脈、果ては淡路島や四国までもが見えます。




もう1つの山道

弁天岳の山頂は女人道の一部ということもあって、道が2つあります。帰りは是非!来た道とは異なる道を通って帰途についてみてください。距離は同じなので所要時間も大差はありません。

大門側から登ってきたのであれば、嶽弁才天社を経て→もう1つの山道を進むことで、ふもとの女人堂まで行くことができます。

⬆️女人道と手前に見えるのが「女人堂」

嶽弁才天社の拝観料金・拝観可能時間など

  • 拝観料金:無料
  • 拝観可能時間:24時間可能

嶽弁才天社の場所(地図)とアクセス(行き方)

弁天岳は麓に位置する大門との標高差は100m以上もあり、標高984mあります。大門から山頂までの距離は約1㎞、所要時間は約30分を要します。

復路の分も考慮して往復の距離と所要時間を算出すれば、合計で距離2㎞、所要時間約1時間になります。

【補足】高野山の女人道を通行するときの注意点

高野山の女人道は舗装されていない道悪な山道です。雨や雪が降れば水気でぬかるみ、滑りやすくなります。また、道とは到底呼べない道幅が狭い道があり、その上、足を踏み外せば谷底まで滑り落ちていくような道です。

このような道を歩くにはそれなりの装備が必要となりますので、事前に充分な準備をしてから最悪の事態を考慮して訪れてください。

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