「金剛峯寺(高野山)」の本当の正しい読み方や名前の由来とは?

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まず、高野山の中心的なお寺であり、真言密教の総本山でもある「金剛峯寺」は「こんごうぶじ」と読みます。

また金剛峯寺は真言宗3600余寺の・・おっと、「金剛峯寺」!!早速かぃは、真言宗3600余寺、信徒1000万の頂点に君臨する高野山真言宗の寺院の総本山になります。

よって住職も単に住職と呼称せず「座主(ざす)」と呼称されます。

金剛峯寺の名前の由来

そして、あまり多くは知られていませんが、金剛峯寺のお寺の名前の由来は、弘法大師・空海の「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろう かくいっさいゆがゆぎきょう)」という、お経(経典)の名前に由来して、真言宗の開祖である「空海(弘法大師)」ご本人が名付けられたと伝えられています。

「金剛峯楼閣一切喩伽瑜祇経」とは、「瑜祇経」の正式名のことであり、その瑜祇経の中には「金剛峯楼閣瑜祇塔」という言葉が見られますが、実はこの「金剛峯楼閣瑜祇塔」こそが金剛峯寺の名前の由来の根源だと考えられています。

「峰」ではなく「峯」と書いてはダメ?

これもあまり気づかないことですが「金剛峯寺」は漢字で書くと「金剛峰寺」とも書く事ができます。

つまり、漢字の「峰」か「峯」の違いということになりますが、上記、大師が著した経典からも分かる通り「峯」が正しい書き方になります。ゴメンね..フぅ〜ジコちぃゃ〜ん

「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経」とは?

「金剛峯楼閣一切喩伽瑜祇経」とは、「瑜祇経」のことだと説明しましたが、詳しくは大師・空海が中国・唐から持ち帰った経典であり、この経典の中には「愛染明王(あいぜんみょうおう)」を構成する思想が集録されています。

画像引用先:文化庁

すなわち今日にみる愛染明王とは大師が中国から日本に伝えたと位置付けることができます。




えぇっ?!高野山には「瑜祇経」にちなんだ「瑜祇塔」という建造物があるぅ?!

あまり知られていませんが、実は壇上伽藍・根本大塔の付近には瑜祇塔という多宝塔が建っていたという記録が残されています。

この瑜祇塔、伽藍の大塔と合わせて「小塔・大塔」とも言われるほど重要な位置付けを持った仏塔のようで、なんと!実際に現在もこの瑜祇塔なる塔が現存しているとすれば驚かれますでしょうか?

現在、この瑜祇塔は高野山宿坊「龍光院」の北側に位置する「獅子ケ岳」と呼称される丘陵に現存しています。

⬆️龍光院「瑜祇塔(ゆぎとう)」

瑜祇塔は、860年(貞観12年/平安時代)に大師の甥であり、弟子でもある「真然大徳(しんねん)」が建立したものであり、1752年(宝暦2)に金剛峯寺の前身寺院となる青巖寺(せいがんじ)に伝えられた古書物「野山名霊集」には「深秘の宝塔」との記述が残されているようです。

しかしいったい、なぜ龍光院にそんな重要な瑜祇塔があるのか?

実は、この龍光院ですが、なんとぉぅ!かつて大師が伽藍を建設中だった頃、大師が居処した場所だと伝えられているからです。

かつては「中院」と呼称されていたようですが、1021年〜1106年(平安後期)の間に高野山の高僧「明算(めいさん)」によって「龍光院」と号するようになっています。

ちなみに龍光院の瑜祇塔は一般拝観不可となっていますのでご注意ください。ウフ

ところで・・「愛染明王」とは?

愛染明王は瑜祇経に見られる明王であり、人間の「愛欲」などの煩悩や欲望を封じ込めるのではなく、力に変えて業魔(ごうま)を降伏(ごうふく)する仏です。

さらに余りある愛情をもって人々に敬愛の精神を植え付け、和合や調和を図ります。

像容

獅子の冠をかぶり、身体は愛欲の象徴とされる赤色をしています。

持物(じもつ)としては、左手に弓や右手に五鈷杵(ごこしょ)という法具を握っていることがほとんどです。

顔は一面、お目目が3ちゅ、さらに6本の腕を持ちます。

金剛峯寺にも大きな弓を持った愛染明王像がある?!

瑜祇経すなわち金剛峯楼閣一切喩伽瑜祇経の第五品の項には愛染明王のことを書き記した一文があり、「衆星の光を射るが如し」と書かれています。

これを表現すると「天に向かって弓を引く愛染明王」となり、これを具現化したものが現在、金剛峯寺に伝えられる「天弓愛染明王像」になります。

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