えぇっ?!高野山・奥の院には「七不思議」ならず「12不思議」が存在する?!

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高野山は古来から極楽浄土と繋がっているとも云われるほど神聖視されています。

高野山で功徳を重ねることで自らの行いを悔い改めることができ、少しずつ極楽浄土へ近づくことができると云われています。

そんな神聖視された高野山に・・ぬぅあんとぉぅぉぅ!『七不思議』があると云われています。

さらにその七不思議の伝承が言い伝えられている場所が「奥の院」と言う高野山の中でもっとも聖域となる場所となります。

奥の院と言えば高野山のパワースポットも言われており、また神秘と言う謎多きヴェールに包まれているスポットとして有名です。

そしてその上、七不思議までもが存在すると言うことになります。

このように謎めきまくった聖域、高野山・奥の院の七不思議を、以下にてご紹介しています。

ちなみにこの奥の院の七不思議は、なんと!実際には7つではなく以下のような「12(11)も不思議がある」と云われています。

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高野山奥の院の七不思議その1:「姿見の井戸」

奥の院の中の橋案内所から奥の院への参道に入った所にある「中の橋」の付近に木製の井桁が上部に組まれた井戸があります。

この井戸を「姿見の井戸」と呼称し、高野山の恐怖の七不思議の1つとして数えられています。

なんでも井戸の中を覗いた時に自分の顔が水面に映らなければ3年以内に落命すると云われています。

姿見の井戸に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページでご紹介しています。

高野山奥の院の七不思議その2「禅尼上智碑」

禅尼・上智と言う人物を祀った石碑で、和歌山県から指定を受けている「史跡」でもあります。

石碑の凹んだ部分に耳を当てると、なんと!地獄の釜の音や極楽浄土の世界の音が聞こえてくるそうです。

禅尼上智碑に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページでご紹介しています。

高野山奥の院の七不思議その3「弥勒石」

高野山・奥の院の第4コーナーとも言える御廟橋の付近にお堂が建っています。
このお堂の中には「弥勒石(みろくいし)」と呼称される石が1つあります。
この石を持ち上げることができれば願いが叶うと言われ、はたまた善人が持つと軽く感じることができ、悪人が持つと重くのしかかり持ち上げることが困難になると云われています。

弥勒石に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページでご紹介しています。

高野山奥の院の七不思議その4「数取地蔵」

奥の院を一の橋の入口付近にあるお地蔵さんです。
なんでも参拝者1人1人の顔と名前を覚えていてくださり、高野山参拝と言う功徳を地獄に御座す閻魔大王様(えんまだいおう)へ報告してくださるそうです。
功徳を報告することで現世においての罪を軽くしてくださり、死後は極楽浄土へ行きやすくなると云われています。

数取地蔵に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページでご紹介しています。

高野山奥の院の七不思議その5「高野に臼なし」

安土桃山時代の間に、太閤秀吉が高野山へ参詣した折、住職に「小腹が空いたので粥(かゆ)を作ってくれ」と告げました。

しばらくして、出てきた粥を見て秀吉は大変、驚きます。

それもそのハズです。粥の米粒が1粒1粒キレイに真っ二つに切られおり、粥を作る際に時間をかけ精魂込めて作られたことに感服したそうです。

そこで秀吉は包丁で米粒を割いたことを知ると、「臼(うす)はなかったのか?」と訪ねました。

すると住職は「この山は女人禁制故、臼を突く杵(きね)はあっても臼は1つもない」と言ったそうです。

それを聞いた秀吉は「坊主め。ぬかしよるわ!ワ~っハッハッハ」と、大笑いし、終始ご機嫌だったそうです。




高野山奥の院の七不思議その6「高野にハブなし」

高野山の奥の院や山内の山道を歩いていて蛇が少ないとは思いませんでしたか?

実は高野山には蛇はもとより、毒を持った蛇さえ寄りつかないと云われています。

その昔、高野山には猛毒を持った大蛇が住んでいたそうで、高野山の参拝客を山道で待ち受けて食べていたそうです。

そのことを知って嘆き悲しんだ大師・空海は竹箒(たけぼうき)も持ち出して大蛇の前に立ちはばかり、なんと!大蛇を竹箒に封じ込めたそうです。

そして大蛇へ向かってこう告げたそうです。

「再び竹箒を使う時代になれば封印を解いてやる」

これ以降、高野山内では竹箒は一切、使用しなくなったとのことです。

実はこの伝承は現実の話にもなっており、実際、高野山内では竹箒は使用しないそうです。

「クロモジ」と言う樹木の枝でホウキを作り、使用しているそうです。

高野山奥の院の七不思議その7「高野の大雨」

高野山は古来から魚や肉の摂取を禁じられている清浄な地ですが、肉食文化を持つ異国の人が高野山内へ入ると、大師・空海は山を洗い清めるために大雨を降らせたと云われています。

一説では、殺生を嘆き悲しみ、涙を流されたのが大雨になったとも云われています。

その他、例年、大師の命日の法要後には決まって大雨が降るそうです。

高野山奥の院の七不思議その8「覚鑁坂」

奥の院の中の橋を越えて少し歩くと、やがて「覚鑁坂(かくばんざか)」と言われる坂が現れます。

この坂は43段ありますが、これは42段が示す「死に」・・、つまりは死を乗り越えると言った意味合いがあるそうです。

しかし万が一、覚鑁坂で転ぶようなことがあれば3年以内に落命すると云われています。ブルブルブル..ヒェ~

覚鑁坂に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページでご紹介しています。

高野山奥の院の七不思議その9「玉川の魚」

高野山の奥の院を流れる川に「玉川」と言う川があります。

その昔、この川の畔(ほとり)で男が魚を獲って串に刺して焼いて食べようとしていたところ、大師が通りかかり、男を説き伏せて魚を開放し玉川へ逃がしたそうです。

すると魚は息を吹き返し泳ぎはじめたそうです。

以降、玉川の魚はすべて背中に串が刺さったような跡があるとのことです。

玉川の魚に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページでご紹介しています。

高野山奥の院の七不思議その10「杖ヶ藪」

ある時、所用で京へ出かけてた大師・空海は手に竹の杖を携えて帰ってきました。

高野山に無事に着いたので杖に感謝を捧げて、再び地面へ挿して返したところ、なんと!急に杖から根っこが生え出て地中に根を張り、瞬く間に葉を付けた竹藪(たけやぶ)になったそうです。

そして大師が竹の杖を挿した場所が、現在の高野山高野町の「杖ヶ藪(つえがやぶ)」と呼称される町になったと言う話です。

杖ヶ藪に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページでご紹介しています。

高野山奥の院の七不思議その11「汗かき地蔵」

奥の院への参道のちょうど中間地点にある「中の橋」のたもとには、お堂が建っており、このお堂の中にはお地蔵さんが祀られています。

このお地蔵さんは摩訶不思議なことに「いつも汗をかいている」ことから七不思議の1つと云われています。

汗かき地蔵が汗をかいている理由は当サイトの以下↓の別ページでご紹介しています。

「こうや七不思議」のINFO

高野町役場

住所:伊都郡高野町高野山636
URL:https://www.town.koya.wakayama.jp

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