高野山・成福院「摩尼宝塔(まにほうとう)」

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高野山・成福院「摩尼宝塔(まにほうとう)」

高野山・成福院「摩尼宝塔(まにほうとう)」

高野山・成福院「摩尼宝塔(まにほうとう)」の御本尊は、なんと!!ビルマ(現ミャンマー)から、直接、寄贈された「釈迦如来(しゃかにょらい)」です。

「魔尼宝塔」は三層八角形のお堂で、成福院の境内に建立されております。

宝塔の内陣の壁には、仏画が約15,000体も貼られており、地下は八角の地下道を巡る場所になっています。

摩尼宝塔の内陣の壁には、仏画が約15,000体も貼られており、地下は八角の地下道

その地下の暗闇の通路を進むと、仏の力によって、罪と穢れから浄められます。

そして、本当の自分を知ることで、幸福の鍵に触れることができる修行場になっています。

「魔尼宝塔」では、日々護摩供養をして、戦没者の菩提を弔っています。




高野山・成福院「摩尼宝塔(まにほうとう)」が建立された理由(目的)

第二次大戦のビルマ作戦で、再び祖国の土を踏むこともなく、異国の山野に眠る戦没者の霊を慰めるために建立されました。

毎年7月の第三日曜日に、ご遺族、戦友等によって大法要が行われています。
(2015年7月19日には50回目のビルマ戦没者慰霊法要が行われました)

さらに、戦没者を供養し、併せて大戦以来の成福院とミャンマーとの絶え間ない関わりを通じてアジアの親善と世界平和を祈念して建立されたものです。

高野山・成福院「摩尼宝塔(まにほうとう)」の創建

塔の発願者は、成福院の故・上田天瑞大増正です。

故・上田天瑞は、1941年に仏教研究のためタイ国に行きましたが、そのころは第二次世界大戦の最中で、陸軍嘱託としてビルマに進駐することになりました。

その後ビルマの僧となって修行後、1944年にビルマより贈られた釈迦仏像と大蔵経を持って帰国しました。

ビルマ戦線では、日本の将兵約19万人が犠牲になったと言われていますが、故・上田天瑞は、ビルマ戦没英霊を高野山で供養することを発願して、関係者の協力で第一期の宝塔工事を完成させました(1965年)。

故・上田天瑞の意思を継いだ仲下重職は、1984年の弘法大師御入定1150年御遠忌大法会に間に合わせて、三層八角形の「魔尼宝塔」を完成させています。

さらに、2000年には、塔内の壁にステンドガラス、床はミャンマーから取り寄せた大理石にする等の大改修を行っています。

高野山・摩尼宝塔の場所(地図)

摩尼宝塔は金剛峯寺から奥の院方へ県道53号線を徒歩で進み、約10分。バスの場合は、南海りんかんバス「蓮花谷バス停」下車スグ。

住所:伊都郡高野町高野山593

公式サイトhttp://koya-jfk.travel.coocan.jp/(成福院)

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