高野山・壇上伽藍「三昧堂(さんまいどう)」

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高野山・壇上伽藍「三昧堂(さんまいどう)」

創建年

929年(延長7年/平安時代)

再建年

1816年(文化13年/江戸時代)

建築様式(造り)

方形造り

大きさ

四辺:約2m

屋根の造り

檜皮葺

ご本尊

金剛界大日如来

発願者

済高(金剛峯寺第6代目座主)

高野山・壇上伽藍「三昧堂」の読み方

三昧堂は「さんまいどう」と読みます。




高野山・壇上伽藍「三昧堂」の名称の由来

済高座主が、このお堂で「理趣三昧(りしゅざんまい)」という儀式をしていたことに由来しています。

済高座主とは「金剛峯寺第6代目の座主で「さいこう」と読みます。

「理趣三昧」とは、真言宗の経典である「理趣経」を中心に構成した仏教儀式の総称です。

「理趣経」とは、真言密教特有の考え方が記された経典であり、これは仏教における「欲望への向き合い方」について記された経典になります。

この理趣経では欲望の本質を見極めるためには、主観を交えずに、対象のあるがままの姿を眺めることの大切さを諭しています。

つまり、何事も「見極めが大切である」ことを説いています。

高野山・壇上伽藍「三昧堂」の歴史・由来

壇上伽藍の大会堂と東塔の間に「三昧堂(さんまいどう)」があります。

元々は、金剛峯寺の西隣にある「総持院(そうじいん)」の境内にありましたが、1177年(治承元年)に西行法師が壇上伽藍に修繕を兼ねた移築に関わっています。また移築後も西行はこのお堂にて修行もしたようです。

この三昧堂は、本来は、本尊の周囲を巡って念仏を唱えたり、僧が中にこもって一心に念仏を唱える等、修行のために造られました。

中世、浄土教の盛んな時期に、「三昧堂」は各地に建立されています。

尚、この三昧堂は金剛峯寺第6代目の座主「済高(さいこう)」が929年(延長7年/平安時代)に建立したお堂です。

現在見ることのできる三昧堂は1816年(文化13年/江戸時代)に再建されたものです。

高野山・壇上伽藍「三昧堂」の御本尊「金剛界大日如来」

金剛界大日如来は、悟りを得るために必要な知恵を象徴する仏さまです。

真言密教は「金剛界(こんごうかい)」と「胎蔵界(たいぞうかい)」と2つあり、それぞれの世界の中心には大日如来がおられます。

これは双方の世界が1つになって大日如来を表すからです。

すなわち胎蔵界も大日如来の世界です。

胎蔵界を護る四仏に大日如来を加えて「胎蔵界五仏」を呼称することもあります。

同様に金剛界にも四仏がいて大日如来を加えて「金剛界五仏」とも呼称します。

三昧堂に咲く一輪の摩訶不思議な花

三昧堂の前には、西行法師が1177年(治承元年)に修復に関わったことを記念として「桜(西行桜)」が植えられました。

西行が詠んだ「西行桜の和歌」と、その歌詞に込められた意味その西行桜は、一度は枯れてしまったものの、現在も、未だ息づいています。

春先には、美しい桜の花を咲かせ、高野山の少し遅い春を告げています。

西行桜に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

関連記事: 高野山・壇上伽藍「西行桜(さいぎょうさくら)」

高野山・壇上伽藍「三昧堂」の場所(地図)

高野山・三昧堂は蛇腹道から入った右脇東塔の奥、中門から入った場合は金堂の後方、東塔の左脇に位置します。

壇上伽藍の見どころ一覧

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