高野山・壇上伽藍「登天の松・杓子の芝」

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高野山・壇上伽藍「登天の松・杓子の芝」

 

高野山・壇上伽藍「登天の松・杓子の芝」の読み方

「登天の松」はとうてんのまつ

「杓子の芝」はしゃくしのしば

高野山・壇上伽藍「登天の松・杓子の芝」の名前の由来

高野山・壇上伽藍を中門から入り、「高野山・壇上伽藍”六角経蔵(ろっかくきょうぞう)”」 と言う堂舎の裏側には「登天の松」と言う松が自生しており、その登天の松の下には「杓子の芝」と呼称する芝が生えています。

ここで「登天」と「杓子」と言う言葉が出てきましたが、「登天」とは単純に「天に昇る(登る)」と言う意味合いがあます。

一方、「杓子」とは現代で言う「しゃもじ」のことを意味します。




「登天の松」と呼ばれる理由

まず、この松が「登天の松」と呼ばれる理由は、1149年(久安5年)、「如法上人(にょほうしょうにん)」が臨終の際に、松が生えるこの場所で弥勒菩薩と縁を結び「兜率天(とそつてん)」へ昇天したとされ、これが由来となっています。

ちなみに、如法上人とは、高野山・明王院(現、宿坊・明王院)に在籍した高僧のことです。

「杓子の芝」と呼ばれる理由

上述した、如法上人には「小如法(帰従上人)」と呼称する弟子がおり、如法上人が臨終した際、ちょうど昼食の準備をしていました。

しかし上人がこの世を去ったことを知った小如法は、驚きのあまり我をも忘れ、杓子を持ったまま慌ててこの松の木へかけつけます。

松の木のてっぺんまで登った後、兜率天の主・弥勒菩薩へ自らも師匠のもとへ旅立つことを願い出て許しを請いました。

するとなんと!それを聞いた弥勒菩薩は、小如法を願いを聞き届け、師のもとへ旅立つことを許してしまいます。

いよいよ小如法は兜率天へ昇ることになりますが、その際になんと!杓子が1つ、松の木めがけて天空から静かに舞い落ちてきたきたそうです。

その後、不思議なことに杓子が落ちてきた松の木の根元には、常に師匠に付き従い、支えるかの如く、美しく映えるような深緑の芝が生えてきました。

それゆえ、この松は以来、「杓子の芝」と呼ばれるようになってい‥‥‥申す。グハっ

後世ではこの松の木と深緑の芝が、弟子と師のあるべき姿として「登天の松・杓子の芝」として今も語り継がれています。

高野山・壇上伽藍「登天の松・杓子の芝」の場所(地図)

登天の松・杓子の芝は、中門から壇上伽藍へ入った近藤君の西側・・おっと、「金堂っ」!!の左側にひっそりと自生しています。

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