高野山 壇上伽藍「准胝堂」

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高野山 壇上伽藍「准胝堂」

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創建年

  • 不明
  • 推定:887年(仁和3年)頃※平安時代
再建年

  • 973年(天禄4年)※平安時代
  • 1883年(明治16年)
建築様式(造り)

  • 入母屋造り
  • 平入
  • 正面向拝付き
屋根の造り

  • 桧皮葺
御本尊

  • 准胝観音
発願者

  • 光孝天皇
作者

  • 真然大徳(第二世伝灯国師)

高野山 壇上伽藍・「准胝堂」の読み方

「准胝堂」は「じゅんていどう」と読みます。




「准胝堂」の名前の由来

准胝堂の名前の由来は、御本尊の「准胝観音」に由来しています。

准胝観音は「じゅんていかんのん」と読み、サンスクリット語で「チュンディー」と呼称し、これは「清浄」と言う意味合いを持ちます。

准胝観音はインドにおいては、観音と言う存在ではなく日本に伝来してから観音と定められています。

インドにおける准胝観音とは「准胝仏母」や「七倶胝仏母」と呼ばれ、これは幾多の仏を生む「母(仏母)」と言う意味合いになり、多くの人々から崇敬が寄せられていました。

日本おける准胝観音とは、伝来した当初は、行者(修行を行う者)を守護する存在として崇敬が寄せられていましたが、平安期に差し掛かると「安産祈願の観音様」として崇敬が寄せられるようになり、この頃から「観音」と呼ばれはじめています。

安産祈願のご利益が付されたのには由来があり、なんでも時の天皇であった醍醐天皇が子孫繁栄と子宝を願い、真言密教の僧侶であり醍醐寺の開祖である・聖宝(しょうほう)に祈願を命じたこととに起因します。

聖宝が祈願した後、安産にて無事に「朱雀天皇」と「村上天皇」と言う良き子宝に恵まれたことから、「安産や子宝にご利益のある観音様」と呼ばれるようになっています。

「御本尊・准胝観音」とは?

准胝観音は千手観音と類似した形状をしており、顔が1つに対して18本もの腕を持っています。

デコ(額)には、3つのお眼目が付いており、化仏(けぶつ)と呼称される小さな仏様がたくさん乗った宝冠を頭に乗せています。

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18本もの腕には千手観音と同じく金剛杵(こんごうしょ)や蓮華、剣、錫杖(しゃくじょう=杖)などを握っており、お腹のあたりで左右の両手を合わせて施無畏印(せむいいん)を結んでいます。

准胝観音は造立された例がほとんどなく、日本の歴史上にもそれほど名前が出てこないほど稀有な観音様となります。

つまり、非常にレアとも呼べるべき観音様と言い換えることができます。

尚、一説では、この准胝観音は大師・空海自身が「得度の儀式(僧侶になるための儀式)」を行うための御本尊として手彫りにて造立したと伝えられています。

准胝堂に安置される以前は食堂で安置されていたと伝わっており、973年(天禄4年)に准胝堂の堂舎が再建されると再び戻されて安置されています。

准胝堂に安置されるその他の観音様

現在の准胝堂には御本尊である准胝観音以外にも「如意輪観世音(にょいりんかんぜのん)」、「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」が安置されています。

また、1868年(明治元年)に、和歌山県かつらぎ町の「天野神社(丹生都比売神社)」から遷した2体の「愛染明王像」も安置されています。

高野山 壇上伽藍・「准胝堂」の歴史・由来

高野山 壇上伽藍「准胝堂」は、887年(仁和3年)頃に真言密教を極めたと称される「真然大徳(しんぜんだいとく)」が光孝天皇の発願によって創建したと伝わっています。

真然大徳は真言密教を極め、真言密教における最高位に就いた人物でありながら、歴史上の記録にはあまり登場しない人物です。

歴史上にあまり記録がないことから、真然大徳に関しては不明な点が多く残りますが、大師・空海の弟子(一説には甥)であったと伝わっています。

創建後は、幾度か焼失したと伝わっていますが、現在見ることのできる堂舎の姿は1883年(明治16年)に再建された時の姿となります。

高野山 壇上伽藍・「准胝堂」の建築様式(造り)

准胝堂は孔雀堂と建築様式が類似しており、彩色が無い質素な素木造りで造営されています。

堂舎の周囲は縁(えん)が回り、正面中央の扉は桟唐戸(さんからと)の開閉式扉になってます。

桟唐戸に上には向拝付きの屋根が覆いかぶさり、向拝の裏側には蟇股(かえるまた)とその下の貫(ぬき)には龍の彫刻が見えます。

堂舎全体の組物としては、屋根の裏側部分は二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)で組まれており、壁面部分は隣の孔雀堂と同じく一手先(出組)で組まれています。




准胝堂の法要「准胝堂陀羅尼会」

高野山・壇上伽藍「准胝堂」では例年7月1日に「准胝堂陀羅尼会(じゅんていどうだらにえ)」と呼称される法要が営まれています。

准胝堂陀羅尼会は、歴史ある法要となり、ぬぅあんとぉぅぉぅぉぅ!ウぉっ!1021年~1106年頃から現代まで続いている法要となります。

准胝堂陀羅尼会の開催日程や場所、開催時間については以下のとおりです。

開催時間

  • 7月1日:午後13時~
開催場所

  • 准胝堂
内容

尊勝陀羅尼(そうんしょうだらに)」を詠唱します。

尊勝陀羅尼とは「経典の一種」であり、これを唱えることで懺悔(ざんげ)し、滅罪生善(めつざいしょうぜん/生前の罪を懺悔し死後は浄土へ導かれるの意)、息災延命などのご利益があると云われています。

その他、特に平安時代などを例とした「鬼」や「妖怪」と言った存在が、はびこっていた時代、この尊勝陀羅尼を唱えることで鬼や妖怪を祓うことができたとも云われています。

高野山 壇上伽藍「准胝堂」の場所(地図)

高野山 壇上伽藍・「准胝堂」は蛇腹道から向かい見て御影堂の後方に位置し、左隣に孔雀堂があります。

壇上伽藍の見どころ一覧

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