高野山「清高稲荷神社」

スポンサードリンク

高野山「清高稲荷神社」

創建年

不明
推定:818年(弘仁9年)11月〜 835年(承和2年)※平安時代

御祭神

清高稲荷大明神

発願者・造営者

弘法大師・空海(社伝)

例祭

清高稲荷社大祭(11月8日)

清高稲荷神社の読み方

「清高稲荷」とはあまり聞きなれない名前ですが、「きよたかいなり」と読みます。

清高稲荷神社の”清高”とは、「清らかですぐれている」との意味合いがあります。

高野山で唯一、宮司さん(神主)が在籍する神社です。




清高稲荷神社の歴史

この清高稲荷神社には、弘法大師・空海が京都に賜った東寺(とうじ)付近に位置する「伏見稲荷大社(京都)」から勧請したとされる「正一位」の稲荷大神が主祭神として祀られています。

あまり知られていませんが、そもそも伏見稲荷大社は弘法大師・空海が祠(ほこら)を築いたのが前身であり、起源だとされる説もあります。

詳しくは、大師が嵯峨天皇より東寺を賜った後、五重塔の建立および境内の諸堂を再建するための木材を伐採するために、稲荷山の木々を切り倒そうとしたところ、稲荷山の山神が怒って、それを鎮めるために上述したように稲荷山に祠を築いて山の神=稲荷大神を鎮めたという言い伝えがあります。

上記のような事柄を踏まえて清高稲荷神社の創祀の歴史を推察すれば、大師が東寺を下賜されたのち高野山へ入り、その際、山内に結界を張りますが、この時同時に稲荷山の神を高野山の鎮守として勧請したものと考えることもできます。

その他に考えられる説としては、中世において稲荷信仰が東寺を中心とした真言宗と結びつき、東寺の聖(ひじり/=勧進僧)たちが日本全国に真言宗を布教するとともに、稲荷信仰も流布したと推察され、その一環で地元の僧侶や関係者たちによってこのような「清高稲荷」と呼ばれる稲荷社が創祀されたとも考えられます。

すなわち、この説を「正」とするのであれば、創建年は室町時代初期〜中期頃ということになります。

なお、当神社は2018年6月頃に本殿の修理を行っており、本殿の中から古い木製の小箱や「文久2年(1862年)」の文字が見える書状などが発見されたのことです。

ちなみに1862年といえば金剛峯寺の主殿が再建された年でもあります。何らかの関連性があるのでしょうか。

これらの小箱や書状には、他にも色々と文字が書かれていたようですが、消えかかっていて読めなかったのと、かなり昔の字体が書かれていたので読むことができなかったそうです。

そこで、すぐさま近くの高野山大学研究室へ持ち出して、現在、調査中とのことです。

特に小箱は本殿の中に収められていたことから、ご神体がお宿りしていると考えるられるものであり、迂闊に開けることもできず調査は難航しそうとのことです。

仏教都市である高野山内にこのような神社があること自体、稀有なことであり、さらに宮司がいるのはこの清高稲荷神社だけになるそうです。

清高稲荷神社の見どころ

千本鳥居

稲荷神社といえば、鳥居が並んでいるのが特徴的ですが、この清高稲荷神社でも伏見稲荷神社に見られるような、俗称「千本鳥居」が並んでいます。

扁額にはシッカリと「正一位 清高稲荷大明神」と書かれています。

色鮮やかな朱色が目を引きますが、このような色鮮やかな朱色の鳥居が増えたのも最近になってのことだそうです。

⬆️上から振り返ったところ。素木と朱色の鳥居が入り混じる

本殿が修理されるまでは、この鳥居も素木の鳥居がそのまま放置される形で現存していたようで、境内に至っても草ボーボー・・ぶぅぅぅぉお!・・だったようです。ぶぅぅぅぉおっ!!

・・こホンっ!

本殿

本殿は小祠になっています。手前の祭壇にはキツネ像が脇侍として2体配され、さらにその後方にはもうふた回りほど大きな石造のキツネ像が配されています。

この石造のキツネ像は向かって右側が「玉」を口にくわえ込み、左側が「巻物」を口にくわえ込んでいます。




境内子社

境内には本殿以外にも摂社か末社かは不明ですが、とにかくまぁ、子社があります。

神棚の左右には陶器製の白キツネ像が配され、神棚の内部には神鏡が見えます。手前には賽銭箱が置かれ、ミニ鳥居がいくつか奉納されている様子がみえます。ぶぅぅぅぉおっ!!

ミニ鳥居の朱色が色鮮やかなことから、比較的、近年に奉納されたものだと思われます。

「男檜」と「女杉」

御本殿の真後ろには、杜(森林)が広がっていますが、特に目を引くのは檜(ひのき)の巨木と、杉(すぎ)の巨木が1本ずつそびえ立っている様子がうかがえます。

しかし、この合計2本の木、”ヒノキ”と”杉”という種類が異なる樹木でありながら、なんと!摩訶不思議なことに6メートルほど上で枝どうしがくっついて完全に接合され、もはや枝ではなく1本の木のようになっています。

⬆️下から接合部を見た写真

当神社ではこの木を古くから御神木としてお祭りしているようですが、それもなんとなく分かる気がします。このように異なる種類の樹木が自然現象によってクっつくというのは、大変稀有な出来事でもあり、まさに神のみぞなせる技!といったところです。

なお、この2本の木の由緒に関しては、現地で神主さんやそのご家族の方から丁寧な解説を受けることができます。

ちなみにこの「男檜」と「女杉」ですが、近年、某有名占い師さんの口コミにより「高野山のパワースポット」とも紹介され、参拝客が急増しているようです。

社務所

本殿の手前が社務所になっており、ここでお守り・御朱印の授与を受付されています。

現在、清高稲荷神社では、社務所での業務は行っておられません。

過去には小さなミニ社務所ですが家族で管理されているようで、ホンワカとした優しい気分にしてくれる、そんな社務所でした。

上の写真は正月に訪問したので屋根に雪が積もり真っ白になっていますが、その様子から察することができる通り、高野山の冬は極寒です。子供さんが冬休みだったこともあり、小学校6年生くらい?の男の子とオナゴの子供さんが参拝客を気づかって熱ぅ〜ぃお茶の接待されていました。..アぢっ!

ちなみに私ごとですが、参拝客が恐縮してしまうほど丁寧な接待をしていただけたのは当神社がはじめてです。ぶぅぅぅぉおっ!!




休憩所

境内は狭いですが、御本殿と社務所(授与所)の前には少し広場があって、その広場の片隅に運動会テントが設営されています。どんなテントや

ここでもお守りや縁起物を授与されていますが、椅子やストーブ(冬季)が設置されており、無料でお茶・コーヒーの接待をしていただけます。さらに正月期間限定でお供え物のお下がりもいただけます。

お茶を接待していただける曜日

水・土・日と正月期間中のみ。時間は不定。※詳細は下記、フェイスブックHPを参照。

清高稲荷神社の御朱印の種類や値段など

清高稲荷神社の御朱印の種類などは以下のページでご紹介しています。ぶぅぅぅぉおっ!! …しつこい

清高稲荷神社では御朱印の頒布が中止となっております。

清高稲荷神社のお守りの種類や値段など

清高稲荷神社のお守りの種類などは以下のページでご紹介しています。

清高稲荷神社ではお守りの頒布が中止となっております。

清高稲荷神社の場所(地図)

清高稲荷神社へのアクセス(行き方)

  • 最寄りバス停:南海りんかんバス「苅萱堂前」下車、徒歩約1分
  • 金剛峯寺から奥の院方向へ徒歩約13分
  • 壇上伽藍から金剛峯寺方向へ徒歩約17分

神社所有の駐車場はなし(車を利用される場合は一の橋の有料駐車場を利用)

清高稲荷神社の問い合わせ先

住所:〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山 高野山道路 ぶぅぅぅぉおっ!! …まだ来るか
電話番号:なし
定休日:なし(年中無休・境内は24時間解放)
E-mail:kiyotaka.inari@gmeil.com
URL:https:koyasanKiyotakainari/

スポンサードリンク -Sponsored Link-


当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。