高野山・奥の院「御廟橋」

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高野山・奥の院「御廟橋」

御廟橋の読み方

高野山内は難しい漢字の表記で読みにくい名前の堂舎や仏像が存在しますが、「御廟橋」は「ごびょうばし」もしくは「みみょうばし」と読みます。

一説では「無明橋」と書いて「むみょうばし」とも読むようです。

御廟橋の「御廟」の意味

「御廟橋」の「御廟」とは「廟(びょう)」のことを指します。

「廟」とは「びょう」と読み、これは死者の御霊を祀る場所のことです。

通念では「墓」と書きますが、「廟」とは偉業を成した人物や、何かに貢献した人物、もしくは天皇などの身分の高い人物を祀った際に「墓」とは呼ばす、「廟」と呼称します。

その廟に敬う意味合いを込めて「御」を付け足したのが「ゴボウ」であり・・あイヤイヤイヤ「御廟」!!であり、その御廟の前にかかる橋という事で「御廟橋」と呼ばれています。

ここで矛盾がある!大師は生きているとされているのに何故に「御廟」なのか?

ここで矛盾に気付いた方もいると思われますが、高野山はもとより真言宗全体では、大師は今現在も修行中であり、奥の院の御廟の地下の岩窟で修行中と云われています。

しかし「御廟」と言う名前が付けられていることは「=お墓」と言う解釈となり、少々疑問が生まれますが、常識的に考えて大師が今現在も生きているいるとすれば、1000年以上は経っている計算になります。

人間が1000年以上も生きれるわけがありませんので、時代を経る過程でいつしか「御廟」と呼ばれはじめたのだと推測されます。

つまり御廟と呼称されたのは一般参詣者たちが、社会通念上の理をもって呼び始めたものだと考えられます。

ただ、この御廟と呼ばれることに相反して、高野山はもとより真言密教においては、大師は生きていて今も修行中であると云われています。

この理由の1つに挙げられるのが、大師の教えにある「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」です。

「即身成仏」とは、「人は生きながらにしてすでに仏である」と言う意味合いがあり、これはつまり肉体を維持する生命機能が停止しても、仏であることには変わりがないことを意味します。

分かりやすく一言で言えば「死」という概念が存在しないことを意味します。

それで、御廟はどこにあるのか?

御廟は燈籠堂の地下に存在し、その地下には「御影(みえい)」と呼ばれる大師の姿が書かれた「額絵」が飾られています。

その額絵の後は石の壁になっていますが、その石の壁の向こう側に今も大師が座していると云われています。

ただし、厳密には燈籠堂の奥に「大師が座する御廟」へ通じる堂舎(建物)が存在し、その地下に大師が座しておられるとのことです。

ただ、多くの一般参詣者が立ち入ることができるのが燈籠堂までで、御廟まで行くことができないと思うようですが、なんとぉぅっ!オぅイぇ~..御廟まで行けた上、さらに大師の座する地下室まで行くことができます。

御廟への行き方

燈籠堂内部の左端へ向けて廊下が延びていて、この廊下を通行することで燈籠堂の裏側へ行くことがきます。

燈籠堂の裏側には御廟がありますので、御廟の手前で参拝することができます。

御廟からさらに時計回りに進むと再び燈籠堂へ入ることができ、地下へ通じる階段が見えてきます。

の階段を降りた先が上述の「大師の御影」がある地下の石室になります。

この御影の向こうには大師が今も座しているとされ、石壁一枚向こうに大師がいることから高野山におけるパワースポットとも云われています。


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大師の食事は1日2回、1年365日欠かさず運ばれる!

現代においても大師は未だ御廟の中で修行中であるとされ、1日2回、1年365日、欠かすこと無く食事が運ばれています。

また、1年365日のうち、大師が入定した日(石室=御廟へ入った日)には衣服も運ばれ、現在でもこの慣習は欠かすこと無く踏襲され続けています。

つまり、約1200年も続いている慣習と言うことです。

この大師に食事を運ぶ慣習のことを「生身供(しょうじんく)」と呼び、御廟橋と「水向け地蔵」の手前に位置する「御供所(ごくしょ)」で調理されています。

御供所で調理された料理は、一旦、御供所横の「味見地蔵(あじみじぞう/嘗試地蔵)」で毒味を行う儀式が執り行われ、儀式の後に燈籠堂(御廟)へ運ばれます。

生身供の時間(1日2回)

  • 毎朝6時
  • 10時30分
生身供のメニュー

  • 精進料理(朝食:ご飯1汁2菜、昼食:ご飯・1汁3菜・デザート)
  • パスタ※時折
  • 揚げ物※時折
  • 果物
  • コーヒー..etc

尚、燈籠堂内でも生身供の儀式が執り行われており、この儀式は上記の時間に一般参詣者も見学することが可能です。

ちなみに、燈籠堂のロウソクの火も同様に約1200年もの間、燃え続けているそうです。つまり、1200年間、消えたことが1度たりとも無いということになります。

御廟橋の造り「36枚の橋板」と「37尊を表す梵字」の謎

この御廟橋は御廟(燈籠堂)の手前にあることから、ほとんどの方は燈籠堂に注目してしまい、何も考えずに渡るだけの方がほとんどですが、御廟橋の方の手前まで来たら、是非!見て欲しい箇所があります。

その箇所というのが「36枚の橋板」と「37尊を示す梵字」です。

「36枚の橋板」

「36枚の橋板」とは、御廟橋に使用されている橋の石板のことで数えると36枚あります。

この36枚の橋板の意味とは「金剛界の37尊」を表していると云われています。

しかしここで疑問点が生じますが、橋板36枚に対して37尊なので1枚足りないことになります。

この理由は、橋板全体を1枚と捉えて合わせて37枚としているためです。

金剛界(こんごうかい)」とは、真言密教における大日如来を表した世界のことですが、もう1つ「胎蔵界(たいぞうかい)」と呼ばれる世界があり、これらを合わせて「両界(りょうかい)」と呼び、2つを合せた両界をもって大日如来を表しています。

以上、もし御廟橋に通りがかった際は是非!御廟橋の下をご覧になってみてください。

ちなみに上述した大日如来の世界観を表す「両界」は「両界曼荼羅図(りょうかいまんだらず)」と呼ばれる「曼荼羅」に描かれています。

気になった方は以下の別ページでご紹介していますので御覧ください。

「37尊を示す梵字」

上述の橋板の裏側にはなんと!37尊を表した「梵字(ぼんじ)」が刻まれています。

梵字とは、密教における仏様を文字で表現した時のサンスクリット文字(古代インドで考案された文字)になります。

⬆阿字観(あじかん)の「」を意味する梵字。大日如来を意味する。

しかしお分かりの通り、橋板の裏側なので目視することはできません。

そこでこの梵字を見るためのアイデアがあります。

そのアイデアとは、御廟橋の真下には玉川(たまがわ/御廟川とも)が流れていますので、玉川に映りこんだ橋板の裏側の姿を見ることができます。

晴天の日の午前中にこの御廟橋へ訪れると運が良ければ見ることができます。

御廟橋の梵字を何が何でも見てみたい方は是非!晴天の日の午前中を狙って訪れてみてください。ウフ

御廟橋の場所

御廟橋は燈籠堂の手前に架かる橋となります。
「一の橋」から約20分から30分、奥の院の中間地点となる「中の橋」から約10分から15分ほどの場所に位置します。

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