高野山「お助け地蔵尊」
創建年
- 不明
再建年
- 平成に入ってから
ご利益
- 病気平癒
- 1つだけ祈願成就
例祭
- 例年:10月24日(お餅まき)
お助け地蔵の別名
このお助け地蔵は、地元では「助の地蔵尊」や、かつて「熊野辻の地蔵様」と呼ばれていたようです。
他に「一言地蔵」や「一願地蔵」とも呼ばれ、古来、篤い崇敬が寄せられています。
「お助け地蔵」と呼ばれる名付けられた理由
「お助け地蔵」と名付けられた理由は、このお地蔵様に祈ることで病気がたちまちのうちに平癒に至ったことが由来となるようです。
『人間の苦厄はすべてこれまでの行いから起こる』
上記のことを踏まえて悔いて反省し、一切の煩悩(欲望)を捨て去って真摯に祈りを捧げれば願いが叶うとされています。
「一言地蔵」「一願地蔵」
冒頭でもお話ししたように、このお助け地蔵は別名で「一言地蔵尊」や「一願地蔵尊」とも呼ばれていますが、この言葉の意味合いから察することができる通り、”一言だけ願いをお聞き届けいただける”という意味合いになります。
「一言地蔵」と呼ばれるようになった由来
その昔、高野山内に在住のお爺さんが熊野の辻を歩いていたそうです。すると道の向こう側から「ギぃぃや〜!とぅあ!とぅあ・・助けて〜ぃぇいっ!」
・・などという摩訶不思議な声が聞こえましたとさ。
それを聞いた爺さまは、勇み足でその声のする方へ向かいますが、いっこうに声の主が現れる気配がありません。
しかしなんだか急に谷底の方が気になったお爺さん。そこで急遽、足を止めて谷底の方へ目をやると・・なんと!そこにはお地蔵さまが立っていたのです。
そして驚くことになんと!そのお地蔵様から「ギぃぃや〜!とぅあ!とぅあ・・助けて〜ぃぇいっ!」という声が聞こえるじゃアーりませんか!
そこで爺さまは草木が生い茂る急な坂を降り、谷底のお地蔵様をなんとか谷の上の道まで担ぎ上げます。そして、その道の隅にお地蔵様を立ててあげました。
すると摩訶不思議なことに、急にお地蔵様から声がしなくなったのですが、なんだかこのままお地蔵様をこの道端に置き去りにするのが、さびしく思え、心苦しくなります。
そこで爺さまは、現在の高野山大門ちかくの見晴らし良い丘へこのお地蔵さんを運ぶことにしました。
この丘であれば町石道から大門へ立ち寄ったついでにでも、たくさんの参拝者たちが訪れてくれて、さびしい思いはしないだろうとそう考えたのです。
すると、次々に不思議なことが起こります。
このお地蔵さんへ立ち寄った参拝者たちは皆すべて、1つだけ願いが叶ったとのことです。
お助け地蔵には特別な参拝方法がある?
なんでもお助け地蔵さまの周りに転がっている石を1つだけ持ち帰って肌身の近いところに持つことで、病気であれば平癒に至るという言い伝えがあるようです。
石を持ち帰る際、石を手に持ちながら願い事を1つだけして、願いが成就すれば再びその石をお礼参りとして返しにくると良いそうです。
次の人が再びその石を持ち帰って持ち歩き、願いが叶えば同じように返しにきて、また次の人が使う・・というような流れです。
お助け地蔵の例祭
このお助け地蔵では、毎年10月24日になると「お餅まき」という例祭が執り行われます。
お餅巻きの日程・開始時間
10月24日、午後1時〜法要開始(法要後にお餅まき)
お助け地蔵尊の見どころ
眺望
お助け地蔵のある場所はなんといっても「日本の夕陽百選」や「和歌山の朝日夕陽百選」にも指定されているほどの場所であり、晴れた日にはここからは遠く四国や淡路島まで眺めることができます。
ただし、厳密に指定されている場所は、このお助け地蔵から徒歩約5分ほど歩いた先にある「大門」の前の展望台になります。
お助け地蔵や大門へお越しの際は、くれぐれもポケットグラスを忘れずに持参してください。(目視では四国や淡路島は見えづらい)
重軽石(おもかるいし)
お助け地蔵の拝殿となる建物内には、なんと!重軽石(おもかるいし)と呼ばれる人の子の頭ぐらいの大きさの石コロが置かれています。
この石コロには、毛糸の手編みの帽子のようなものが被せられていて、現在でも丁寧に真心を込めて地元の人に管理されている様子がうかがえます。(100才ちかいお婆さんが毎日訪れて管理されているとのことです。)
ちなみにこのような重軽石は日本全国の寺社でもお目にかけることでき、有名所では、同じ高野山奥の院の御廟橋手前の「みろく石」と呼称される重軽石や、京都伏見稲荷大社の奥社に置かれている2つの重軽石が有名です。
使い方や占い方はどこも同じで、思ったより軽ければ願いが成就する。重かったら願いが叶うのが遅い。もしくは悪いことが起こる兆し。などとも云われます。
地蔵尊の歌
地蔵尊の歌なるものがあるようです。
この内容を見る限りでは、梵字の音写にも見えます。
拝殿の内部
お助け地蔵の前にある建物(拝殿)には、色んなものが置かれています。
特に目を引くのは上記の「重軽石」ですが、他に「御利益」と書かれた額も目を引きます。この額に書かれている内容がこのお助け地蔵のご利益に通じるものなのかは定かではありませんが、一応、記載しておきます。
- 神仏の心と一致したとき
- 清浄の心を自覚したとき
- 自他不二の理を悟ったとき
- 自然を神仏と崇めるとき
- 衆生の恩に感謝するとき
- 宇宙の大霊を共生するとき
昭和54年3月
その他のお地蔵様
このお助け地蔵尊には、お助け地蔵以外にも数体のお地蔵さんがお祀りされています。お助け地蔵に訪れた際はぜひ!これらのお地蔵さんにも手を合わせてください。
女人道
このお助け地蔵がある場所には「女人道」と呼ばれる道があります。女人道は高野山の街を囲むようにして通っていますが、かつて高野山に入ることが許されなかった女人たちが、この道を通って高野山の周囲を練り歩きながら祈りを捧げたそうです。
その様相はまるで「ろくろ」を回しているようだと言われ、のちに「ろくろ峠」と呼ばれるようにもなっています。
お助け地蔵尊の場所(地図)
最寄りバス停
- 大門南バス停(下車後、徒歩約5分)
- 大門前バス停(下車後、徒歩約8分)
お助け地蔵尊の入り口
お助け地蔵尊への入口は国道480号線の道路沿いにあります。道路沿いからコンクリートの階段を上がった先に地蔵尊の境内が広がっています。境内の奥には森林が広がっており、女人道があります。
帰りは来た道を引き返すか、もしくは大門へ訪れて「展望台」や「大門」および「仁王像」を拝観して、スグ後方にある「大門前バス停」から「南海りんかんバス」へ乗車したのち、伽藍や金剛峯寺、奥の院へ行かれるのもオススメです。
なお、このお助け地蔵尊の脇から大門へ続く直通の道があります。わざわざ来た道を引き返して道路(480号線)から大門に行くのは遠回りです。
関連記事:高野山 大門「仁王像」【重要文化財】
【補足】お助け地蔵尊へのオススメの観光ルート
お助け地蔵尊は高野山・大門と大門南駐車場の間あたりに位置することから、高野山駅を例にとった場合、真逆の方向に位置します。直通のバスもありますが運行本数が少なく、おおむね「千手院橋」で乗り換えが必要であり、待ち時間を含めて約50分〜1時間は要します。
そこでオススメの行き方(観光ルート)としては、高野山駅から→女人堂→徳川家霊台→苅萱堂→奥の院→金剛峯寺→壇上伽藍→霊宝館→と進み、最後にお助け地蔵尊へお参りすれば効率よく回ることができます。(お助け地蔵は24時間参拝時間自由なため最後)
ただ、上記のルートを1日で周るのは少々、時間的に難しいものがあります。できるならば高野山内で1泊してゆっくりと聖地をめぐっていただければと思います。
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