清瀧大権現社
読み方
「せいりゅうごんげん」
「せいりょうごんげん」
※瀧(たき)とは読まずにどうやら「りゅう」と読むのが正しいようです。
来歴(歴史)
当社がいつ頃から当地にあるのかは定かではゴザらぬが、どうやら醍醐寺にて奉斎される女神のようです。
しかしながら、当社に掲出される由緒を見ると次のような内容の記載がある。
どうやら現在の社殿は昭和四十七年に高野山大門を出たところにあった和菓子舗 南峰堂の当時店主の杉原幸之助とコムメ夫妻らが発願し、馬野禮光師、金剛峯寺もこれに加わり、それぞれの施財によって営まれたとのこと。
杉原幸之助・コムメ夫妻らは、「講」を結成して年に一度、僧を請じて例祭を執行するほどの敬虔な善女龍王の信者だったらしい。
ところが、主にお世話をしていたコムメ夫妻が老齢になったことから、その子息である杉原勉 氏の申し出によって平成二十五年に当社は金剛峯寺の所管社になった‥‥とのこと。
以来、伽藍の年中行事として毎年10月19日に大祭が営まれる。
清瀧権現にまつわる故事
この清瀧権現社にて奉斎される清瀧権現は大師・空海が入定前に弟子たちに伝えた話によれば「善女(善如)龍王」と同一の神(龍神)と云われ申す。
この善女龍王は無熱地(むねっち/炎熱の概念がなく干ばつが起こらない池)に暮らす、女龍でインド神話に登場する八大竜王の1つ「沙掲羅(しゃがら、サガーラ)」の第三王女(一説には第四王女とも)とされる。
この女龍は他物に危害を加えない善の心を有する龍がゆえ善如竜王とも書かれる。
空海が神泉苑(京都)で執り行った請雨修法の際、その奥義を敬って現出し、その姿は8寸(2.5cm)の金色蛇で、9尺(3m弱)の蛇の頂上に乗っていたとされています。
しかしながら、醍醐寺(京都)の寺伝によれば、もとの名は「青龍」といい、唐の青龍寺で暮らしていたようですが、日本に飛来したのち、複数の寺を巡り、延喜2年(902年)2月7日、醍醐寺の開祖「聖宝(しょうぼう)」のもとに准胝・如意輪観音の化身、清滝権現を名乗る神女が降臨したとされています。
「清瀧」の名前の由来
善如竜王は唐の青龍寺にて遣唐使として来朝していた弘法大師に仏法を学び、その後、「三昧耶戒(さんまやかい/教えを学ぶ前に結縁や許可を意味する灌頂の儀式)」を受けたようです。
その時に「津妃命」という神名をもらい、帰国する大師を護りつつ渡日したそうな。
その後、笠取山(埼玉県と山梨県の県境の山。多摩川の水源地とされる)の東方の高嶺に暮らすようになり、豊富な水に因み、名前を「清滝」と改めたそうな。
壇上伽藍には善如竜王を祀る「善如竜王社」という神社がある!
実は壇上伽藍にはこの清瀧権現以外にも善如竜王を奉斎する「善如竜王社」という神社がありまする。
ド頭が混乱しそうになってくるのですが、同じ神を奉斎しながら、それぞれの社に伝わる謂れは異なりまする。
善如竜王社については下記ページにて詳しく述べてい‥‥‥申す。グハっ
関連記事:高野山 壇上伽藍「善女竜王社」
阿字池
この清瀧権現の前には「阿字池」と呼ばれる小さな池が広がっているのだが、どうなら名前の由来は大日如来を表す梵字の「バン」に似ていることが由来になっている言われる。
清瀧権現の場所
清瀧権現は壇上伽藍を蛇がら道‥‥‥ではなく、蛇腹路から伽藍へ入ってスグ左手に見える手水舎の奥に見える小さな社です。
清瀧権現への行き方
清瀧権現へ行くためには手水舎からは行くことができず、一旦、三昧堂の前から延びる道を通って、回り込むようにして行く必要がありまする。
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