高野山 壇上伽藍・孔雀堂「木造孔雀明王像」【重要文化財】
造立年
- 不明
- 推定:1200年(正治2年/鎌倉時代)
作者
- 快慶
重要文化財指定年月日
- 1908年(明治41年)1月10日
所蔵
- 金剛峯寺(現・霊宝館)
孔雀堂・木造孔雀明王像の読み方
高野山の境内には、難しい漢字の表記で読みにくい名前の仏像や堂舎が存在しますが「木造孔雀明王像」は「もくぞうくじゃくみょうおうぞう」と読みます。
孔雀堂・木造孔雀明王像の歴史・由来
この木造孔雀明王像は、高野山の壇上伽藍の孔雀堂の御本尊として1200年(正治2年)に慶派(けいは)の仏師・快慶(かいけい)によって造立された像だと伝わっています。
慶派は快慶以外にも「運慶(うんけい)」が有名であり、鎌倉時代には慶派によって仏像がたくさん造立されており、日本の至る場所で見ることができます。
尚、慶派の有名な仏像として、門で見かけることの多い「仁王像」があります。
ところで・・「明王」とは??
孔雀明王像の「明王」とは、サンスクリット語で「ヴィドゥヤー・ラージャ」と発し、「ヴィドゥヤー」の意味とは「真言=明呪(みょうじゅ/=まじないの言葉)」の意味があります。
ラージャは「王」を指し、合わせて「明王」となります。
実は仏には4段階の位があって、明王は「~天」の1つ上の位になります。
ちなみに明王の上は「菩薩」、さらにその上は「如来」となります。
また、「天」の下にも実は位があって「垂迹(すいじゃく)」や「羅漢(阿羅漢/あらかん)」などがあります。

- 如来
- 菩薩
- 明王
- 天
- 垂迹・羅漢
「垂迹」は神と仏が合わさった本地仏(ほんちぶつ)いわゆる権化(ごんげ)になります。
羅漢とはインド仏教における最高位を示す言葉です。その他、お釈迦様の弟子のことをも指します。
孔雀と密教のつながり
実は古来からインドで孔雀とは「吉兆」を運ぶ鳥として霊鳥として扱われてきました。
その理由と1つとして猛毒を持つベビでもクチバシで啄んで、いとも容易く胃の中に収めてしまうことにあります。
ちなみに孔雀は実際に神経性の猛毒にも耐性があり、サソリや毒蜘蛛なども捕食していとも容易く食べてしまいます。
インドにおいては「毒=煩悩」とも捉えられ、孔雀が毒蛇(煩悩)を食べると言う由来に基づき、仏として崇められて生まれたのが「孔雀明王」となります。
このように煩悩を食べる聖鳥であることから、孔雀はインドの国鳥にも指定され大切に保護されています。
これは日本においても同じことが言え、奈良時代に日本へ孔雀明王が伝来し「孔雀信仰」と言うものが生まれています。
この信仰では、雨乞いの祈祷や厄災を退ける「孔雀経法」と称する祈祷が密教において行われています。
ちなみにこの信仰、平安時代に差し掛かると貴族階級にまで浸透するほどであったと言います。
孔雀明王の4つの手に持つ物の正体
この孔雀明王像は4本の腕を持っており、それぞれの手には「蓮華(れんげ)」「吉祥果(きちじょうか)」「倶縁果(ぐえんか)」「孔雀の尾」を持っています。
吉祥果
吉祥果とは「きちじょうか/きっしょうか」と読み、古来、魔除けの果実と称される「ザクロ」のことです。最奥の右手の手のひらに乗せているのが吉祥果です。先っぽに、二葉の葉っぱのようなものが見えます。
倶縁果
倶縁果は、「ぐえんか」と読み、煩悩を消除させる効果がある果実であり、現代風に訳せば「ゆず」や「レモン」と言った解釈になります。左手の手のひらに乗せているのが倶縁果になります。
孔雀の尾
孔雀の尾は、招福や幸福を意味しているとされています。右手で握り締めているのが孔雀の尾になります。
蓮華
蓮華は、「れんげ」と読み、大いなる愛情を意味としているとされています。左手で握っているのが蓮華です。
詳しくは、閉じたツボミの蓮華となりますが、これから大輪の美しい花弁を咲かせようとしています。
高野山・孔雀明王像の特徴
明王像の真後ろの光背(こうはい)は、孔雀が尾羽を開いたものがそのまま光背になっています。
また、明王とは通常、怒った顔(憤怒の形相)で造立されることが多いのですが、この孔雀明王は何故か実に穏やかな顔をしており、女性的な特徴をしているのが伺えます。
尚、このように穏やかで女性的な孔雀明王像は他にも存在し、女性的な特徴をもって造立された孔雀明王を別名で「孔雀王母」「仏母大孔雀明王」などとも呼称されています。
高野山 孔雀堂・孔雀明王の安置場所
高野山 孔雀堂・孔雀明王は現在は、高野山霊宝館で所蔵されております。
霊宝館へのアクセス(行き方)は当サイトの以下の別ページでご紹介しておりますのでソチラをご覧ください。