高野山・御影堂
創建年
不明
推定:818年(弘仁9年)11月〜835年(承和2年)※平安時代
再建年
1591年(天正19年)
1847年(弘化4年/江戸時代)
建築様式(造り)
方形造り
大きさ
高さ:約ーm
横幅:約ーm
奥行:約ーm
屋根の造り
檜皮葺き
発願者
弘法大師・空海(創建時)
徳川 斉彊(紀伊徳川家)(再建)
高野山・御影堂の読み方
壇上伽藍の中には読みにくい名前の仏像や堂舎がいくつかありますが、御影堂は「みえどう」と読みます。
御影堂の歴史・役割り
この御影堂は弘法大師・空海が学問を修する場所として創建されたと云われます。現代風で言うところ研究室に該当します。
大師が入定された後、大師信仰が誕生すると大師を尊崇し、信仰の対象となっていくにつれ、様々な呼称が生まれています。
空海自身の持仏であった「如意輪観音像」を奉安した経緯から「持仏堂(じぶつどう)」とも呼ばれたり、もしくは如意輪観音を奉安し念誦したことから「念誦堂(ねんじゅどう)」などとも呼ばれたようです。
以後、大師が入定されたのち、大師の十大弟子1人である実恵が、同じ十大弟子の1人である「真如親王(しんにょしんのう)」が描いたとされる大師の御影(画像)を奉安したことから、「御影堂」と呼ばれるようになっています。
生前の大師の姿を拝む処?
この御影堂は大師の御姿が描かれた画像(御影)が奉安されていることから、日常生活を営んでいた頃の大師の姿を拝む処です。故に御影堂。
その一方で、奥の院とは大師の魂を拝むところであるとも云われます。
それ故、まずは壇上伽藍のこの御影堂に参拝して、奥の院へも参拝するというのが正式参拝方法といえばそういう解釈にもなりまする。
真如親王が奉安した画像の一般公開について
前述の真如親王が奉安した画像は現在、堂内の内陣に安置されていることから、一般参拝者は見ることが叶いません。
ただ、年に1回執り行われる「お逮夜(旧・正御影供)」の法会が終了した後のみ、外陣のみ一般参拝が可能です。(画像はおそらく見えない)
この画像が見れるのはおそらく灌頂などの僧侶にとって重要な位置付けの儀式の時のみでしょう。
「阿闍梨」位に昇進するための‥‥いわゆる学修灌頂をこの堂にて受けた僧侶の方は、一生に幾度とない大師の御姿を拝することができ、感動を覚え涙しながら、改めて宗派への信仰を深々と誓願するのです。(阿闍梨になると御影堂の内陣に入堂する資格が与えられる=大師の画像(御姿)を拝める。これを目標に皆、切磋琢磨する)
1591年(天正19年)には、高野山中興の祖として知られる「木食応其(もくじきおうご)上人」の発意にて大改修が実施されています。
なお、現在見ることのできる堂宇は1846年(嘉永元年)に、紀伊徳川家12代藩主「徳川 斉彊(とくがわ なりかつ)」公が再建したものと伝えられています。
御影堂のこんな見どころ
内陣
内陣には前述した「大師の御影(画像)」が安置されています。
中陣
内陣の手前部分となる中陣には、両界曼荼羅が収められてられています。
外陣
外陣には十大弟子と祈親上人(きしん/958~1047)、真然大徳、両人物の画像が収められてられています。
お逮夜(旧・正御影供)の法会
お大師さま御入定の日にあたる「旧暦3月21日」は、奥の院と御影堂において「正御影供(しょうみえく)」と呼ばれる弘法大師の法会が執り行われまする。
旧正御影供の前夜(御逮夜)には、午後6時頃から御詠歌と舞踊の奉納され、参拝者には、花とロウソクが配布され、御影堂にお供えできます。
午後7時に「御逮夜法会」が斎行された後、御影堂へ参拝することができます。(参拝できるのは年1回、この時のみ)
法要終了後、一般参拝者は堂内外陣を参観できるようになります。
防火ドレンチャー
近づいても分かりにくいのですが、この御影堂の周囲の地面には「防火ドレンチャー」が仕込まれています。
これは万が一の火災のときに屋根の上から瞬時に水を浴びせることができるようになっています。
つまり、火事になれば熱センサーが反応して、地面の中に埋め込まれたドレンチャーから一斉に水が噴射して、屋根の上まで優に届くほどの水を屋根の上から大量に浴びせて、半ば力押しで鎮火するといったことです。
ライトアップ
壇上伽藍は夕暮れが過ぎた頃、境内の定められた場所でライトアップされます。
その際、この大会堂もライトアップされます。大会堂は堂舎の周囲に吊り燈籠が設置されていることからライトアップ時は、これらの燈籠が一斉に点灯され、幻想的な光景をお目にかけることができます。
もし高野山内に夕暮れ以降も滞在できるのであれば是非!壇上伽藍のライトアップもご覧になってください。
奉納された無数の灯籠
この御影堂の大きな特徴であり見どころとなるのが、無数の奉納された灯籠です。
御影堂は高野山真言宗の僧侶にとっては憧れの場所であり、この堂にて灌頂を受けることが目標でもあることから、大師への崇敬の度合いを意識づけるかのように高野山内の宿坊(支院)から奉納された灯籠も見えまする。
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