高野山 壇上伽藍「対面桜」
桜の種類:ヤマザクラ
対面桜の読み方
「といめん‥‥‥」ではなく、『たいめんざくら』!! ”といめん”はマージャン
対面桜の歴史
この対面桜は現在は中門の前に自生していますが、元来、大塔の南側(前)、金堂の東辺りに生えていたそうな。
ところが、久安5年(1149年/平安時代後期)5月に大塔が落雷にて焼亡。すぐさま再建工事が開始されることになり、その現場監督(修造奉行)に平清盛が任命されます。
その後、工事は無事に完工に至り、保元元年(1156年)4月29日に大塔が再建されてい‥‥‥申す。
老僧が桜の樹に現れる
平家物語の第3巻『大塔建立』の項によれば、工事が完了したある日、老僧が桜の樹ちかくに忽然と姿を現したそうな。
ちょうどその時、完工した大塔付近にいた清盛は老僧の姿を目にし見慣れぬ老僧のもとへと歩みを寄せる。
老僧の前で立ち止まった清盛に対し、老僧はこう告げる‥‥。
『大塔がめでたくも再造されたのぅ。ふぉっふぉっふぉっ….。大変めでたいことじゃ。ふぉっふぉっふぉっ….。』
『ただ、貴公がこの先、悪行を行うことあらば、末代まで願望が叶うことはなかろぅて。ふぉっふぉっふぉっ….。』
と、このように一方的に話終わると、老僧は100mほど歩いたところでスぅ〜っと煙のように姿を消したそうな。
その様を一部始終見ていた清盛公はこぅ心に思ぅ。
『たゞ、人にあらざる‥。あれば大師(弘法大師空海)であったか‥‥‥』
対面桜の名前の由来
以上、このように桜の樹のちかくに大師・空海が影向(ようごう/桜の精に変化して現れたこと)して、清盛公に対面したことから、後世ではこの桜の樹を「対面桜」もしくは「影向桜(ようごうざくら)」と呼ぶにようになってい‥‥‥申す。フハっ
なお、江戸時代に編纂された「紀伊国名所図会」にもこの逸話について、以下のように記されてい‥‥‥申す。グハっ
『影向桜、大塔の前にあり。清盛参詣の折、此の桜木のもとに明神影向し給うが故にしかといふなん。または対面桜ともいふ。』
対面桜の場所(地図)
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