高野山・山王院(御社)
創建年
不明
推定:816年
再建年
1594年(文禄3年)
2004年(平成16年)
建築様式(造り)
入母屋造
両側面向拝付き
大きさ
桁行(横幅):21.3m
横幅梁間奥行):7.8m
屋根の造り
檜皮葺
御祭神
丹生明神
高野明神
発願者
弘法大師・空海
法要
竪精論議:旧暦5月3日
御最勝講:旧暦6月10日・11日
高野山 壇上伽藍・「山王院(御社)」の読み方
高野山の境内には読みにくい名前の堂舎や御祭神がありますが、山王院は「さんのういん」と読みます。
高野山・山王院(御社)の名称の由来
「山王院」の山王とは、丹生明神を地主の神とした「山の神」を意味していることから、このように名付けられました。
高野山・山王院(御社)が建立された目的(理由)
弘法大師は高野山の開創に際して、日本古来の神々と仏教との融和のため、高野山の地主神として、丹生明神(にうみょうじん)と高野明神の分霊を高野山の守護神として「御社(みやしろ)」に祀りました。
この「御社」の拝殿として山王院は建立されています。
「御社」の建立年と再建年
高野山・御社の建立の時期は定かではありませんが、地主神を祀るために造られたことから、高野山開創の816年に近い時期と思われます。
現在の建物は1521年(大永元年)2月12日に起きた火事で焼失した後、1594年(文禄3年)に再建されたものです。
それ以降、約20年毎に屋根の葺き替え工事等が行われています。
最近では、2004年(平成16年)に「御社」の檜皮(ひわだ)の葺き替えが行われています。
高野山の「御社」の建築様式(造り)
「御社」には以下の3つの社殿が並んでいます。
- 向かって右側の一宮には「丹生明神」
- 中央の二宮には「高野明神」
- 左の三宮には、それらと関係の深い「十二王子・百二十伴神」が祀られた総社になっています。
丹生・高野明神は「一間社春日造」、総社は「三間社流見世棚造(さんげんしゃながれみせだなつくり)」と呼ばれ、どちらの屋根も「檜皮葺(ひわだぶき)」です。
また、これら三社には彩色が施されていて、部材にも彩色絵が描かれています。
これらは、山王院本殿の名称で、国の重要文化財に指定(1965年)されています。
高野山・山王院の構造
「御社」の拝殿として建立された「両側面向拝付入母屋造(こうはいつきいりおもやつくり)」で、桁行21.3m、梁間7.8mの建物です。
現在の建物は、1594年に再建されたものです。
「山王院」では、高野山の僧侶が明神様に「学道」を奉納する場所になっています。
高野山・山王院の行事・イベント
- 毎年旧暦5月3日には「竪精論議(りっせいろんぎ)」
- 旧暦6月10-11日には「御最勝講(みさいしょうこう)」の問答が行われます。
- さらに毎月16日も高野山内の僧侶による門徒・門講による法会が行われています。
高野山・山王院の場所
山王院は、壇上伽藍の西端にあります。(金剛界では西は最上位となる場所です)
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