高野山 壇上伽藍「三鈷の松」

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高野山 壇上伽藍「三鈷の松」

  • 樹高:約7.5m
  • 樹齢:不明(推定:100年以下)

高野山 壇上伽藍・「三鈷の松」の読み方

高野山の境内には難しい漢字の表記で読みにくい名前のご本尊や仏像がありますが、「三鈷の松」は「さんこのまつ」と呼称します。

三鈷の松の名前の由来「”三鈷”とは?」

三鈷の松の「三鈷」とは、大師・空海が肌身離さず所持していた「飛行三鈷杵(ひぎょうのさんこしょ)」と呼ばれる密教法具の「三鈷」のことです。

三鈷杵は正式には「金剛杵(こんごうしょ)」と呼ばれるものですが、金剛杵は三鈷杵以外にも「五鈷杵(ごこしょ)」や「独鈷杵(どっこしょ)」とも呼ばれ、種類を分ける意味合いでそれぞれ呼称が付されています。

⬆️大師教会入口に置かれている「三鈷杵の模型」

高野山 壇上伽藍「三鈷の松」の歴史・由来

空海は、自らの仏道においての答えを探すべく、中国・唐へ渡りました。

唐では、生涯の師とも言うべき「恵果(けいか)」と出会います。

そして、修行を重ねた末、師の「恵果(えか)」から、「次の代のお役目」と、その証である密教法具の「三鈷杵」を授かりました。

いよいよ日本へ帰国することとなった空海は、あることを考えていました。

それは、仏の世界を具現化した「伽藍」を造りたいと考えていたのです。

そこで、空海は、その伽藍を建立する場所に関して、仏の意志を仰ぐため、自らが持つ、法具・三鈷杵を空へ向かって投げました。

すると・・なんと!

空海が投げた法具は、東の空の彼方へ、消えていったといいます。(このことから「飛行三鈷杵」とも呼ばれます。)

その後、空海は自らの判断で伽藍の地を選択することになりますが、空海が決めた地は「高野山」でした。(一説には「狩場明神(かりばみょうじん)」の勧めにより決めたとも)

そして、いざ、空海が高野山に入ると、なんと!驚くことに、

空海が投げた法具が、松の木の枝に引っかかっていたのです。

以後、空海の法具がひっかかっていた、この松の木は、空海と高野山の地を結びつけた木として、敬われ「三鈷の松」と呼ばれるようになりました。

現在もこの松の木は、この壇上伽藍の根本大塔の前で、大切にお祀りされています。

ちなみに、この松の木には珍しく「3枚葉を付けた葉もできる」そうです。

つまり「三鈷杵」の”三”と紐づく由来があるとして大切にされています。

なお、上記の話はあくまでも後世で創作されたフィクションです。室町時代後期以降になると大師信仰が盛んになり、様々な信仰が誕生しています。

さらに松の木の樹高を見れば分かりますが、100年以下です。つまり、大師が高野山に入った頃に自生していた松の木であればもっと巨木になっているか、すでに枯れているハズです。ウフ

三鈷の松の葉がお守り?!

高野山では、参拝に訪れて帰途につく参拝者の方々に、この「三鈷の松の葉」をお守り代わりとして配布されています。(授与される場合は要問合せ)

この三鈷の松から実る葉は摩訶不思議なことになんと!葉先が3つに枝分かれしています。(通常の松は2本)

「三鈷の松の葉」のご利益

以上ように摩訶不思議な松の木であることから、この三鈷の松の葉をお守りとして肌身に持つことで、高野山からの帰り道、何事もなく無事に家族の待つ家まで必ず帰れるんだそうです。

これもきっと大師の飛行三鈷杵の故事と三鈷の松の”3本”にアヤかった伝承なのでしょう。

高野山 壇上伽藍「三鈷の松」の場所(地図)

高野山 壇上伽藍「三鈷の松」は中門から入って金堂の左奥、御影堂と准胝堂の前に位置します。

壇上伽藍までのアクセス方法については以下のページでご紹介しています。

 関連記事:壇上伽藍へのアクセス(行き方)

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