高野山 壇上伽藍「中門(ちゅうもん)」

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高野山 壇上伽藍「中門(ちゅうもん)」

壇上伽藍・「中門」
創建年

不明
推定:819年(弘仁10年/平安時代)

再建年

1843年(天保14年/江戸時代後期)
2015年(平成27年)※他、過去にも数回あり
※8代目の中門

建築様式(造り)

二重楼門

大きさ

高さ:約16m
横幅:約25m
奥行:約15m

屋根の造り

檜皮葺

材質

高野ヒノキ
高野杉

施工業者

大林組

発願者

真然大徳(創建時)
金剛峯寺(開創1200記念時)

「中門」の読み方

中門は「ちゅうもん」と読みます。中門を注文っ!..はいっ自爆

「中門」と呼ばれる理由

この壇上伽藍の門が中門と呼ばれる理由は、大門の内側にある第二の門であるからです。

例えば東大寺や法隆寺では、伽藍のもっとも外側にある門を「南大門」と呼び習わしています。そして南大門の次の控える門を「中門」と呼称し、中門の内側が伽藍の中枢になります。

高野山でも同様に例えることができ、もっとも外側にある門を「大門」、その次にある門を「中門」と呼び習わしています。

このような中門が壇上伽藍に据えられている事実をもってしても、やはりこの高野山の中心はあくまでも根本大塔であることを強く物語っており、壇上伽藍を守護するための門としても位置付けられます。




高野山 壇上伽藍「中門」の歴史(年表)

高野山 壇上伽藍の中門は、江戸時代の天保14年(1843年)の大火事で燃え尽きてしまい、以降、平成の現在まで「中門跡地」として残っていました。

しかし、2015年(平成27年)に開催された「高野山開創1200年記念」の折、173年ぶりにこの「中門」を再建しようという話が持ち上がりました。

そんな経緯があって高野山開創1200年記念の記念事業の一環として、中門再建計画が企画され工事が開始されています。

なお、この記念事業で再建されたのは中門だけではなく、かつて中門に安置されていたとされる慶派が造立した「仁王像」も同時に再建されています。

ただし、厳密には仁王像ではなく、以下のような”四天王像”になります。

  • 中門正面手前の右側が「多聞天
  • 中門正面手前の左側が「持国天
  • 中門裏側の正面から見て左側が「増長天
  • 中門裏側の正面から見て右側が「広目天

いずれも仁王像の彫師で有名な「運慶(うんけい)・快慶(かいけい)」から成る「慶派」によるものと考えられています。

中門の仁王像に関しては以下の別ページにてご紹介しています。

 関連記事:高野山・壇上伽藍「中門(ちゅうもん)・四天王像」

2017年(平成29年)3月28日、高野山開創1200年記念大法会に際し、高野山との結縁を望む檀信徒など6万5044人が書き記した「結縁芳名帳(66巻)」が桐箱に入れられ、中門の上層部内の室内に収められています。

中門の歴史(年表)

819年(弘仁10年)

中門が創建されたと伝わる年です。なお、創建当初の中門は門ではなく”鳥居”だったようです。場所は現在とほぼ同じ場所に建っていたようです。

847年(承和14年)

鳥居が廃されて壇上伽藍・金堂前に簡素で質素な門が建てられる。

1115年(永久3年)

三間一階建ての八脚門に改造される。

1141年(永治元年)

上記、八脚門が現在の中門が建つ場所へ移築される。

1253年(建長5年)

現在見られるような五間二階建ての楼門に改造される。このときの中門が今日の中門のモチーフとなっている。

1774年(安永3年)

焼失する。

1779年(安永8年)

再建される。(上記、五間二階の楼門)

1809年(文化6年)

焼失する。

1820年(文政3年)

再建される。(上記、五間二階の楼門)

1843年(天保14年)

焼失する。この時、内部の多聞天(毘沙門天)、持国天の二天像は、なんとか運び出され、壇上伽藍の西塔および大塔に安置されていた。

2014年(平成26年)

再建される。

2015年(平成27年)

大法会開白(初日)にあわせ、落慶法会が行われる。

高野山・中門の建築様式(造り)

この中門は「株式会社大林組」や、日本全国から職人が集い、貴重な「高野杉」を用いて再建されています。この再建は「ある分析結果」から得られた情報をもとにして、忠実に再建計画が練られています。

「ある分析」とは、中門の跡地から発見された、過去に幾多も火事にあった証拠となる中門の「燃えカス」などを分析したそうです。

この分析結果から、中門に使用されていた材料や塗料、高さや大きさなどが分かったそうです。

現在見ることのできる中門の姿は、分析によって弾き出された鎌倉時代の中門を復元して再建されたものになります。

門の形式は二重楼門、屋根はヒノキ材を薄い板状に加工した檜皮葺き(ひわだぶき)で葺かれており、鎌倉時代の中門を忠実に再現して再建されていますが、創建当初はなんと!現在よりもさらに大きいものであったと云われます。

初層部分には、伽藍の西塔の横に自生していた樹齢374年のヒノキが使用されたりするなど、総じて高野山内で切り出されたヒノキや杉(すぎ)のみが使用されています。

この再建でさらに驚くのは材料となる高野檜や高野杉もそうですが、ぬぅあんと!鎌倉時代の再建時に実際に使用されていたとされる「槍鉋(やりがんな)」などの道具まで用いて造営されています。

2015年(平成27年)4月2日には、完成を記念して落慶法要が盛大に営まれています。

柱は18本!釘が1本も使用されていない?!

再建された中門の柱は全部で18本ありますが、なんと!釘が1本も使用されずに直立しているすれば驚かれますでしょうか。

その上さらに、柱の上部には精緻な組物が組まれており、中門の大きな見どころとなっています。

八脚門

八脚門とは、早い話が脚(柱)が8本あることから「八脚門(はっきゃくもん)」と呼ばれています。

具体的には、門中心となる棟下にまず4本の親柱を立て、その前に4本、後ろに4本の控柱(ひかえばしら)を立てて、合計8本としていまする。

出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・八足門(八脚門)(YATSUASIMON)【重要文化財】 | 出雲大社-御朱印

上図を見て、アレレ?‥‥と思った方は鋭い方です。

そうなのです。柱は合計で12本ありまする。

なぜ?

‥‥という素朴な疑問が出てきますが、これは中心の親柱(本柱)4本は数に含めないからです。

基本、門の柱を数えるときはこのように親柱(本柱)は除外して数えまする。

代表的な八脚門

八脚門は建て上げると豪壮感を備えた門になることから、平安京の内裏を守護する「建春門」などに用いられています。

⬆️建春門

他に、島根県出雲大社境内の重文指定の「八足門」や、東大寺(奈良)の転害門などがありまする。




高野山・中門の四天王像

この中門にはもともと四天王像が安置されていましたが、幸いなことに持国天像と多聞天像のみ、大火から免れており、2像のみ仏師の松本明慶(まつもとみょうけい)によって修理され、再び安置されています。

さらに残りの2仏「増長天」と「広目天」が安置され、今日に至っています。

中門の四天王像に関しては以下の別ページにてご紹介しています。

【補足】「中門再建作業館」って何?

ところで・・「中門再建作業館」って何?中門再建作業館の場所や営業時間などのご紹介

高野山・壇上伽藍「中門」に関係する建物の1つに「中門再建作業館」が挙げられます。

中門再建作業館」とは、2015年(平成27年)の高野山開創1200年の節目年に中門の再建計画が企画された際、記念事業の一環として建設された建物です。

「壇上伽藍(だんじょうがらん)」の中門の172年ぶりの、再建の企画 (2)

高野山の中門はかつて壇上伽藍の南を守護する門でしたが幾度も焼失を繰り返し、1843年(天保14年/江戸時代後期)以降、2015年(平成27年)まで再建されなかった歴史を持ちます。

つまり、172年ぶり!の再建工事となります。

この「中門再建作業館」は、かつて金剛峯寺前の大駐車場に建てられていましたが、あくまで臨時で建設された建造物のため、現在は撤去されすでに存在しません。

中門の再建工事期間中、館内では再建工事の様子や用材となる高野ヒノキについての解説が行われていました。

上述したように現在の中門は、鎌倉時代にかつて存在した中門を忠実に再現しようと、鎌倉時代の建築部材や建築道具、建築様式を踏襲し、専門の職人たちが血と汗を地面に染み込ましながら見事、完成させた門です。

この職人たちは現在の日本で、たった50〜60人しかいないと言われる、由緒ある確かな日本の建築技術を継承した職人さんたちです。

その日本でたった50人から60人の職人すべてが高野山に結集し、この中門再建工事にあたっていますので、かつての威容を偲ばせる豪壮感漂う門の完成を迎えられたのは、火を見るよりも明らかであったと言えます。

中門に使用された謎の樹木とは?

この中門には鎌倉期に実際に使用されていた用材が使用されたため、まずは用材の特定から行われています。

そこで質問ですが、用材に使用された樹木は、いったいどのような種類の樹木かお分かりになりますでしょうか?

‥‥‥

‥‥‥

残念無念!惜しいですが・・ハズレです!

正解は高野ヒノキ」です。

高野ヒノキは高野山で販売されている御朱印帳の表紙の材料としても使用され、はたまた高野山の霊木でもあり名産でもあります。

現在、ヒノキの産地と言えば長野県木曽(きそ)が有名ですが、鎌倉期の日本では高野山のヒノキは天下一品級のシロモノでした。

「高野檜皮」と言われる、古来では日本全国に名の知れた建築部材の高級ブランド↑高野檜(ヒノキ)

この高野ヒノキを加工して「高野檜皮(こうやひわだ)」と呼称される「ヒノキの皮」や部材を造成しています。

しかしこの「高野檜皮(檜)」は時代を経る過程で過剰な伐採が行われ、今や現存する高野檜は、高野山でもほんの一部の地域でしか生息してない数少ない貴重な樹木になっています。

そんなことから、現在では社寺建築にのみ使用することが許可される呪文になって・・あぉぅ間違い!樹木!!になっています。呪文はドラクエ

ここで、ちょっとだけ考えてみてください。

現在の中門にはいったい何本の高野ヒノキが使用されているかお分かりになりますでしょうか?

よーく考えてみてくらハイよぉ。はいょぉ~!

‥‥‥

‥‥‥

はい~ぃ、残念無念!ハズレです。トホホ

正解は、なっ、なんとぉぅぉぅ!オぅイぇ~…約1500本!!も使用されているとのことです。

驚きましたか?

驚いていないあなたは、無理にでも驚いておきましょう!

ガォぉぉ!

….

…..

……。

高野山・金剛峯寺「中門再建作業館」の「場所・営業時間・定休日」など

ところで・・「中門再建作業館」って何?中門再建作業館の場所や営業時間などのご紹介 (2)⬆️「中門再建作業館」の場所。ちょうど、金剛峯寺の真ん前にあることが分かる。

住所:和歌山県伊都郡高野町 高野山真言宗総本山金剛峯寺

電話番号:0736-56-2011(金剛峯寺・寺務所)

営業時間:午前8時30分~午後5時

定休日(休館日):不定休。(9月は無休)




宿坊に宿泊されている方は是非!「中門のこんな見どころ」

実はなんと!高野山に宿泊して夜出歩かなければ分からないことですが、この中門や、大塔の鐘(高野四郎)、根本大塔、蛇腹道は夜間になるとライトアップされます。

ライトアップの点灯時間は季節によって異なりますが、概ね、日没から夜明けまでです。

高野山の宿坊へ予約された方は是非!夜、壇上伽藍へ訪れて、昼間とはまた少し雰囲気の違った、幻想的な壇上伽藍をご覧になってください。

これも高野山の宿坊へ宿泊する特典の1つとも言えます。

壇上伽藍・中門の場所(地図)

中門は蓮池と金堂の間に位置します。蛇腹道から壇上伽藍へ入った場合は、正面に見える根本大塔の前方の金堂を挟んだ前方に位置します。

道を挟んだ正面には宿坊「遍照尊院」があります。

壇上伽藍の見どころ一覧

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