高野山 壇上伽藍「善女竜王社」
高野山・壇上伽藍「善女竜王社」の読み方
「善女竜王社」は「ぜんにょりゅうおうしゃ」と読みます。
善女竜王社の御祭神「善女竜王」
「善女竜王」は、八大竜王の一尊(当社は神社なので”一柱”か)の娘(三女)と言われていますが「高野大師行状図画」には、「24㎝程の金色をした蛇」として描かれており、雨乞いをしている弘法大師の前に、突如として現れた、大蛇の頭の上に乗っていると云われます。(一尊の「尊」は、仏様を数える単位です)
「高野大師行状図画」とは?
鎌倉時代の描かれた弘法大師・空海にまつわる絵巻物です。
また、平安末期の絵師「定智(じょうち)」によって描かれた「善女竜王像(金剛峯寺所有の国宝絵画)」には、中国官服を着た男神として表されています。
高野山 壇上伽藍「善女竜王社」の歴史
高野山の壇上伽藍にある「蓮池の中央の丸い小島」には、1771年(明和8年/江戸時代中期)に造られた、善女竜王を祀る「社(やしろ)」があります。
これが「善女竜王社」と言われているものになります。
紀伊続風土記によると1771年に瑞相院の寺僧「慈光」が、当地(伽藍の蓮池)に善女竜王を勧請したいと高野山の町民にうったえかけ、全員一致賛成にて当地に奉祀したとのこと。
令和に遷宮も行われた
実は令和元年に当社では遷宮が実施され、然るに現在の社殿は眩いばかりの朱色を威放つ。
元来、当社へ架かる橋は一本だけだった?!
実は元来、当社へ架かる橋は勧学院側の橋のみだった。
ところが、高野山開創1200年記念事業の一環として、伽藍の”中門”側にも橋の架橋を”注文し、架橋されたのだった。これにより、善女龍王社へ参拝しやすくなったことを、これまた素敵に意味する。
巷間で語られる「善女竜王」とは?
「善女竜王(ぜんにょりゅうおう)」は、雨乞いのご利益を持つ仏様であり、竜王の中の一尊でもあります。
父親は八大竜王の一尊でもある「沙掲羅龍王(しゃかつらりゅうおう)」であり、その三女になります。
ちなみに沙竭羅龍王の仏像が安置されている有名な場所がありますが、どこだかご存知でしょうか?
そうです。
「東京浅草の浅草寺」です。
浅草寺境内入口の手水舎の中央には、頭に龍が乗った沙竭羅龍王が祀られています。
このように八大竜王は水に関してのご利益を持つ仏様であることから、水の近くにお祀りされていることが多いです。
また、この八大竜王は、お釈迦様から教えを授かった仏様でもあります。
善女龍王の名前の意味
この善女竜王の名前には「善女」と付されていますが、「善如」と書いて「ぜんにょ」とも読む。
この言葉の意味はそのまま「善の如し」と解します。
龍には「悪竜」という存在もいるように善悪の概念が存在し、すなわち善なる心を持つ、危害を加えない女龍とされるがゆえ、「善女(善如)」と呼ばれるようになったとのこと。
「青龍権現」とも呼ぶ
上り龍と青い龍を青龍権現と称する。
高野僧の話では、龍には色によって働き(性格)が異なるらしく、大師がかつて渡唐したみぎり、けいか阿闍梨から密教の教えを受けた寺院の寺号も「青龍寺」。その青龍寺にもやはり善女龍王が奉祀されていたとな。
その由来もあって「青い龍のお寺」と書いて、「青龍権現」とも素敵に称する。
善女竜王が祀られた理由
善女竜王社のご本尊である「善女竜王」は、824年(天長元年/平安時代)に天皇から雨乞いを下命された際に、弘法大師・空海が北インドから招いた仏様です。
善女竜王を招いた大師は、雨を降らせてくれたお礼として、社(祠)を造営し善女竜王を大切にお祀りします。
大切に祀られたのがよほど嬉しかったのか、善女竜王の雨乞いの効果は凄まじいものがあり、社殿の造営後、直ぐに再び大雨が降ったそうです。
現在では雨乞いをすることは稀ですが、例年に比べて飲料水不足や不作のときには、実は水面下で管轄の神社で雨乞いのご祈祷が執り行われたり、神輿を出して雨乞いすることもあります。
高野山内にある7つの弁天と合わせて雨乞いの呪い(まじない)としている
高野山内には他にも水に関する神を祀っていますが、代表的なものに「高野七弁天」があります。
ひょっとするとこれら水の神を奉斎することで、いわゆる雨乞いの呪い(まじない)としているのかもしれません。
高野山は山上に拓けた宗教都市であることから水の確保が困難とされたことから、水不足で悩まないようにこれら高野7弁天および、善女竜王を奉斎することによって雨乞いの呪い(まじない)としたのかもしれません。
だとすればこれらの神々は高野山にとって重要な意義や位置付けを持つことになります。
なお、この善女竜王社は1996年(平成8年)に祠(ほこら)の修復が行われています。
高野山は分水嶺?
分水嶺(ぶんすいれい)とは、山に降った雨水が四方八方へと流れて行き、それぞれで水系を作っていく、その山頂(峰)を意味する。
イメージとしては高野山から水が湧き出し、その水が様々な川へと流れつき、人々を潤す。
例えば高野山から湧き出した水が高野山内の街中を流下し、そこから有田川や貴志川、そして紀の川へと流れていく、そしてたどり着くのは龍宮のある海。
然るに高野山はそれら河川の源流になっていることになり、河川流域に暮らす人々を不浄・穢れから護り続けているという解釈も素敵に成り立つ。
請雨経法
弘法大師空海が行なった雨乞いの祈祷の中で特に有名なエピソードとしては、1240年(呼応2年)、京都の神泉苑で執り行った請雨経法(しょううきょうほう)があります。
請雨経法は、雨乞いのほか洪水の時の止雨、ひいては天変地異を防ぐための護国修法とされるものです。
現在、奈良国立博物館にこの様子を描いた絵図の写しが所蔵されています。
【補足】神泉苑請雨経法道場図【重要文化財】
部数:1幅
仕様:絵本(墨画 淡彩 掛幅)
サイズ(大きさ):縦139.3㎝ × 横86.4㎝
制作年:鎌倉時代(13世紀)
画像引用先:奈良国立博物館
平成の初めにも奇跡が起きた?!
平成の初め、高野山では日照りが続き、当社(善女龍王)の御軸を伽藍の金堂に奉安して祀りたてたところ、奇しくも雨が降り続いたという逸話もある。
善女龍王はなぜ池の中央に祀られているのか?
善女龍王は龍神であって、龍といえば古より水神でもある。
それゆえ鎮まりやすい場所ということで池の中央に祀られている。
昔から「龍神池」や「龍神滝」という言葉が伝えられるように、池など水の溜まりがある場所には龍神が憑りつくといわれ、神聖視される。
水とは我々の生活に密接な必要不可欠なものでありつつも、粗末にするとときに洪水のように猛々しい怒りすらも覚える。
そのような信仰を顕現化させたものが、まさに当社のような在り方になる。
水と龍と蛇は古来、水の性質を有し、生命を産み育てる根源であるとし、実際、高野山の信仰でも嶽の弁天社を頭にして龍が寝そべっているとした弘法大師・空海その人が伝えた故事もある。
善女龍王社の年に一回の縁日は見物!
善女龍王社の縁日は毎年10月19日。この日、信奉者たちは供物などを持ち寄って一堂に会し、法要が厳かに営まれる。
善女龍王社にお参りする時は真言を唱えてみる
善女龍王社の真言:「オン メイギャ シャニエイ ソワカ」
社手前の鳥居にも真言が書かれているので、手を合わせたら、それを見ながら真言を唱えると霊験あらたかな利益が得られそうな気配に包まれ‥‥るの? どっちや
善女竜王社への行き方
善女龍王社は壇上伽藍・中門の横に位置することから地図上では「金堂」や「不動堂」のあたりからでも蓮池を畔りを歩く形で行きつくことができると考えてしまいます。
しかし実際は行けません。
蓮池は伽藍の中でも中門よりも下がった場所に位置するため、一旦、中門から出て道路まで出る必要があります。
中門の脇道もしくは勧学院と蓮池の間の道、はたまた大会堂前の駐車場から勧学院へ通じる道から「蓮池」および「善女竜王社」に行けるようになっています。
高野山 壇上伽藍「善女竜王社」の場所(地図)
高野山・壇上伽藍「善女竜王社」は中門から入って金堂右脇に位置する「蓮池(はすいけ)」の中央に位置します。また蛇腹道から壇上伽藍へ入った場合、すばらく進んだ先の左脇に見えてきます。
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